1971-12-23 第67回国会 衆議院 本会議 第26号
そして、昭和四十四年の総選挙には、衆望をになってみごと本院議員の栄冠をかちえられ、年来の宿願を達成されました。(拍手) 君は、当選後、自由民主党に所属されましたが、本院にあっては、内閣委員また文教委員として、その豊富な経験と知識をもって終始熱心に国政の審議に当たられました。
そして、昭和四十四年の総選挙には、衆望をになってみごと本院議員の栄冠をかちえられ、年来の宿願を達成されました。(拍手) 君は、当選後、自由民主党に所属されましたが、本院にあっては、内閣委員また文教委員として、その豊富な経験と知識をもって終始熱心に国政の審議に当たられました。
ここにおいて、農民の代表として農民の声を国政に具現させることこそ、みずからの使命であるとの信念をいよいよ固め、昭和二十二年の第二十三回衆議院議員総選挙に埼玉県第四区から出馬して惜敗されましたが、翌、昭和二十四年の第二十四回総選挙には、みごと本院議員に当選して、ついに年来の宿願を達成されたのであります。
しかし、昭和二十一年四月に行なわれた第二十二回衆議院議員総選挙には、郷党の衆望をになって、みごと本院議員の栄冠をかち得られ、年来の宿願を達成されたのであります。(拍手)以来、君は、本院議員に連続して当選すること九回、在職十九年三ヵ月の長きに及んでおります。
昭和二十一年四月、第二十二回総選挙に際し、郷党の輿望をになって当時全県一区の千葉県から出馬し、みごと本院議員の栄冠をかちえられました。以来、当選すること前後八回、在職十五年に及んでおります。 当選するや、いち早く本議場のこの演壇に立ち、当時論議を呼んだ自作農創設の問題に関し、農業基盤の強化のためには、農村工業化の推進、酪農の導入、農業経営の適正規模の確立が必要であることを力説されました。
昭和五年の第十七回衆議院議員総選挙において、郷里の岐阜県第一区から立候補し、みごと本院議員に当選して、ついに年来の宿願を達成せられたのであります。(拍手) 先生は、本院に議席を得るや、終始民衆政治家の立場を堅持し、先輩、同志とともに、おりから台頭著しかった軍閥に抗して政党政治を守るため精力的な活動を続けられたのでありました。
終戦後、君は、政治家となって広く社会民衆に奉仕せんことを志し、昭和二十一年四月の第二十二回衆議院議員総選挙に出馬し、みごと本院議員の栄冠を得られたのであります。自来、現在まで、連続して当選すること七回、在職十四年の長きに及んでおります。
人となり温厚誠実、よく郷党の信望を集め、一昨年の総選挙には、推されてみごと本院議員に当選されました。在職中は法務委員として多年の薀蓄を傾け、誠心誠意職務に精励しておられましたことは、諸君御承知の通りで、ざいます。
温厚篤実なる君の人となりと、郷土を愛する君の熱情とは、よく郷党の信望を集め、昨年一月の総選挙には、福島県第二区より推されて、高点をもつて、みごと本院議員に当選せられたのであります。