2004-03-19 第159回国会 参議院 災害対策特別委員会 第3号
ここにおきまして、過去五年間で調べてまいりましたが、火災が三件発生をいたしておりますが、これはいずれもぼや程度で済んでおりまして、大きな被害が出ておらず、私どもといたしましてはほっといたしているところでございます。
ここにおきまして、過去五年間で調べてまいりましたが、火災が三件発生をいたしておりますが、これはいずれもぼや程度で済んでおりまして、大きな被害が出ておらず、私どもといたしましてはほっといたしているところでございます。
釧路沖では、特にこの厳寒期のストーブ使用の時期でございますから、普通ですと大変たくさんの火災が発生するわけでありますが、火災の発生は九件でございまして、ほとんどぼや程度で鎮火しております。
ですから、これでいくと、大蔵大臣も、経済担当の最高責任者として、ぼや程度で消しとめる努力をしなければならない。特にその場合、為政者に要求されるのは、アメリカの置かれている特殊な政治情勢、経済情勢を現実的にとらえ、理念とか理屈とか願望だけではなしに、現実のマーケットの動きに的確に対応することだろう。こう細見さんが教えているのですね。
これは可燃物が少なかったからだと思われまして、ぼや程度の火災は相当多く発生したのだと思います。それがただ大事に至らなかったと思います。そういう意味で、可燃物が少ないということが火災による二次災害がなかった最大の原因になっております。 災害を統計的に見ますと、メキシコ市の人口は約千七百万人と言われておりますが、死者、行方不明を合わせて七千から八千人でございます。
事実、洞道の中におきます火災というようなことは、ぼや程度がちょっとあったことはございますが、これほど大きな事件というのは電話事業始まって今まで一度もなかったわけでございまして、これほど多くの被害になるというようなことを考えなかったということを深くおわびするところでございます。それで早速、洞道内の火災の事故対策委員会というのを公社の中に設置いたしまして、対策、検討をしております。
幸いいずれも家人が発見し、けが人も出ず、ぼや程度で済みましたが、このような対人ゲリラやテロ的な動きは今後とも起こる可能性があろうと思いますが、いかがでしょうか。
いま一つは、ほろ布に溶接の火花が散ってくすぶったのだ、こういうことでございますけれども、それにしても、パワーセンターから補助用の電力線が出ておる、当該電力線四百八十ボルト用のものを別電源に切りかえてプラント運転をしたということの理由で、念のために、熱の影響を受けたと思われる部分については、万全を期して一部の取りかえを実施した、こういう報告でございますから、単なるぼや程度で電線の取りかえなどということはちょっと
実際の戦争の常として、韓国で、あるいは朝鮮半島でと申してもよろしいかと存じますが、戦闘行動が行われて、それが単なる国境の小競り合い――国境といいますか、三十八度線近辺の休戦ラインと申しますか、その範囲の小競り合いを越えて、米側も戦闘行動に参加しなければならない、それだけでなしに、日本の基地からも戦闘作戦行動に出ていかなければならないという事態は、これは単なるぼや程度じゃなしに、相当大きな実力行動であります
○説明員(大井久弘君) 文部省が補助金を出しました建物につきまして火災が発生したものにつきましては、県のほうからそのつど報告を受けるというたてまえになっておるところでございますが、しかしながら火災の実態がぼや程度というような非常に小さな事故で済んだものにつきましては、必ずしも報告が参ってないというようなこともございまして、正確な数字ということになりますと、ここで幾らということで申し上げられないという
で、いわゆるぼや程度で済んだわけでありまして、厨房用の排気ダクトを焼損した程度で済んだわけでございます。この出火の原因は、一階の厨房で、料理の色づけをする電気器具——サラマンダというんだそうでありますが、それで肉や魚の色づけのため振りかけたブランデーが燃えて飛び出し、ダクト内に着火したと考えられるわけでございます。
まあ、ぼや程度のもので消しとめたようですけれども、火災を起こしたあとが歴然としておったということが、付近の人たちや、後日大学の関係者等によって明らかにされているわけです。
部分焼と申しますか、ぼや程度に終わっておりますが、部分焼に至りましたものは三棟でございます。これは御承知のように宝組倉庫の所在は点々といたしておりますが、この地区におきまするところの延焼防止をいたしまして、焼け残りました倉庫は六棟でございます。火災の損害でございますが、見積もり額五億五千万円でございます。
こういったほんのぼや程度で、人の命が七十有余名もはかなくも失われているということです。ほんとうに地上ならばバケツ一つで消えるようなぼやで、とうとい人命が七十余も失なわれているこの事実は、何かと私に言わせればあのときたとえて言えば、非常時の振鈴でぱっと知らせるような設備でも一つあれば、私は逃げる余地があったと思う。ところが、電話はあった、電話はじゃんじゃん鳴らすけれども、それを受ける人がいない。
それで当然、私の町内の消防の諸君に言わせれば、その車がなければこれはぼや程度で食いとめることができた。その車二台が放置されてあったばかりに一軒あらかた焼いてしまった。こういう事実があるのですね。
この間から資料もいただき、今も火災の記録をいただきましたが、大体終戦後の火災の状況を見ておりますと、これは大胆な推定ではあるのですが、大体大都市においては、一応あの戦災以後大きな火災はない、片づいておるような形で、毎日ぼや程度のもの、あるいは二、三戸というのはずいぶんありましょうけれども、大体ない。従って大火というと、大体現在では中小都市の方に移っておるようであります。