1954-03-03 第19回国会 衆議院 内閣委員会 第8号
それは非常にりつぱな人たちによつて行政が行われ、非常にりつぱな学者によつて審議が行われるという、そういう過程であります。でありますから私はこの方向に向つて日本の学術体制が進むことを心から希望しているものでありますが、現実は必ずしもそう行かない。
それは非常にりつぱな人たちによつて行政が行われ、非常にりつぱな学者によつて審議が行われるという、そういう過程であります。でありますから私はこの方向に向つて日本の学術体制が進むことを心から希望しているものでありますが、現実は必ずしもそう行かない。
基礎的研究をやるという建前になつておる大学が、ある会社の要請に応じて、その委託研究に日夜没頭しているということであつたのでは、せつかく大学の研究室にりつぱな学者を備えておきなながらも、国家の真に要求する基礎的研究がほとんど行われないとい現状になるのであります。
かような見地からいたしますと、科学者であり、りつぱな学者としての台長の立場において、いろいろ予算獲得の政治的折衝、その他の事務的な煩雑さにつきましては、多少重荷であるかとも私は御同情を申し上げるのでありますが、どうかこの四面海をめぐらした日本の平和な国民生活を確保いたしますのに不可欠であり、最も必要であります海洋気象観測に対する予算獲得について、国家的責任感と国民的責任感とを持つて、最善の努力を払われんことを
世界を見てもなかなかもらえないようなノーベル賞を、日本人の血が通つている湯川博士が得たのでありますが、中にはやはりりつぱな学者がおる、決してそういうことは劣つていないと思う。 それから資本主義とか社会主義とかいうものがまだ何していないということでありますが、私は自由党内閣でも昔手放しでいつたときの資本主義じやなくて、やはり社会主義も取入れられておりまして、これが並行して行きつつあるのです。
すでに非常な苦労をして、りつぱな文化の成績をあげた人たちに、単に老後のためとか、あるいは過去の功績に報いるためとかいうのでなしに、将来においてそういつたりつぱな学者や功労者が出ろような積極的な保護助成の対策が必要だと思う。これに対してひとつ所見を伺つておきたいのであります。
ところで日本の欠陷は、基礎研究には相当りつぱな学者もおりますけれども、応用から工業化ということが非常に発達しておらないということが、概括して申されるのであります。
たとえば九州とか、あるいは鳥取県とかああいうところで、ほんとうに研修をしようというときに、東京からりつぱな学者を呼んで講師とすることができましようか。これはできないのです。みんな各県で人事委員をつくつて、そこで研修をやるように骨を折れというように言われても、おそらくできぬだろうと思う。結局その地方に適応する程度のものしかできぬ。
○苫米地(英)委員 つまり私は旧制大学においてりつぱな学者を養成し得るということは否定いたさないのであります。ただその者に職を與えなければ資格ができない。りつぱな著述ができるとか、りつぱな業績ができるということを待つておつたのでは非常に長い年月がかかる、こう申すわけであります。そこで私は新制大学においては、財政の都合もございますので、急に定員をふやせなどということを申すのではありません。
そういうりつぱな学者ができたならば、新制大学の講師なり助手なりにつけて、教育の経験を持たせなくちやならぬじやないか。しかるにそういうものを吸收する地位ができていない。私はこう申すのであります。
それからもう一つ、これは先ほど御紹介になりましたヒルスと同じようなりつぱな学者でありますが、ヒルトン・ヤング、この人がまことにおもしろいことを言われております。イギリスは会計検査院がやぶをたたいてうさぎを追い出す。国会がそのうさぎをつかまえる、大蔵省がそのうさぎを料理する、こういうことを本に書いてございます。
私の考えますことを申し上げますと、何といつてもりつぱな学者が必要だと思うのです。それで湯川さんの記念に、方々に大きな研究所や何かをたくさん建てる。何十億あるいは何百億をかけて記念につくろうといつても、それはむりかと思いますが、私はどうしてもやはりりつぱな学者が必要であると思う。
これは時代思想の影響で、当然のことでありますが、しかしそれを離れて靜かに学究的にやつて、ほんとうに人類のため國家のため民族のためにりつぱな学者が出た場合に、それから離れて学士院に送り込むという客観的な公平な態度がとれれば結構でありますが、ともするとそういうことができにくい情勢もできてくるということを私はおそれるのでありまして、そういう意味においてこの覚書にはかなりの意味があると思うのであります。