2012-08-24 第180回国会 衆議院 文部科学委員会 第8号
私は、父や、あるいはおじいちゃん、おばあちゃんあたりから、小さいころは自分の部屋がなくても楽しかったというような話をよくお年寄りの方はされるわけでありますけれども、私どもは物質的には確かに豊かになりました。
私は、父や、あるいはおじいちゃん、おばあちゃんあたりから、小さいころは自分の部屋がなくても楽しかったというような話をよくお年寄りの方はされるわけでありますけれども、私どもは物質的には確かに豊かになりました。
この木曽町がやっているように、既存の民間のバス会社と契約してやってもらうという方法もあるし、あるいは自治体が、一日に二回というふうな回数を限定して、おじいちゃん、おばあちゃんあたりが病院に行くような時間帯に配置をして運行しているというふうな運行の方式、さまざまな形があると思うのですが、そこら辺、運行の形を分類して、そして、こういう形でやっておるところは幾つあるとか、こういう形の自治体は幾つある、そういうふうな
そのことによって地域の、特に高齢化が進んだ地域のおじいちゃん、おばあちゃんあたりが、もう大変な不便をこうむる。 もう我が県においても、農協は経営が非常に厳しいんですよ。したがって、一県に一農協という時代ですよ。昔は町に農協がありましたよ、そして農協の支所もあったんです。そこで金の出し入れができていたんです。もう全部消えますから。そうしたら、残るのはもう郵便局しかないんですよ。
三点目なんですが、民営化されたら郵便局がなくなってしまうんじゃないかという話をよくおばあちゃんあたりから地元で聞くわけなんですが、そんなばかなことにはしませんよ、そんなことありませんよというお答えを一応私もします。
しかし、今部長さんが言われた百万円ぐらいが大体残された貯蓄のようだということですと、百万円ということになると、それが多いのか少ないのか人によってそれぞれ違うでしょうが、その程度は特養老人ホームにおられるおじいちゃん、おばあちゃんあたりには一つの心の支えみたいな感じの額でもあろうかというような気もするわけであります。