2008-11-12 第170回国会 衆議院 外務委員会 第2号
二〇〇五年のNPT再検討会議、運用会議はぶざまな失敗だったことが証明された、最大の理由は、ブッシュ政権が二〇〇〇年にすべての締約国が行った廃絶に向けた誓約を話し合うことすら拒否したからだ、次回の会議もこのような失敗に終われば地球的規模の努力を著しく弱めてしまう、ここまでオバマ氏のペーパーは力説をしているわけです。
二〇〇五年のNPT再検討会議、運用会議はぶざまな失敗だったことが証明された、最大の理由は、ブッシュ政権が二〇〇〇年にすべての締約国が行った廃絶に向けた誓約を話し合うことすら拒否したからだ、次回の会議もこのような失敗に終われば地球的規模の努力を著しく弱めてしまう、ここまでオバマ氏のペーパーは力説をしているわけです。
○吉田之久君 どんな立派な法律ができたって、いざというときに全然準備が整っていなかったら、これはぶざまなことですから、この法律をつくった以上は、さらにどういう場合にはどうするかといろいろシミュレーションも考えて、そろそろやっぱり防衛庁長官も検討をなさるべきだと思います。
まちづくりというのは役所と住民の共同参加によるということにはなるんですけれども、住民の意思が反映されにくいシステムがたくさんあるために、最終的には私の町なんかではぶざまな歩道橋がそこにできてしまったというような実態がございます。
強行採決するのはぶざまだから、野党の諸君も一生懸命苦労してきたんだ。 そういうことで、大臣、いまの大蔵省の答弁聞きまして、どうせこれはまた問題点がたくさん出ましょうから、ユーザーと整備業者との間のいろんな矛盾点が出ましょうから、そういうものは私は一年か二年期間を置いて検討した上で、本当はこの過料の問題ももっと、もう一回論議したかったわけなんです。
○大木正吾君 これは予算委員会冒頭における質問でございまして、どうも私たちの情報ですと、その当時からアメリカの要請があったりあるいは外務省等で話題になっていたかに思っていたんですが、これからも総理が訪米することもございましょうから、なるべく問題は正確に答えてもらわぬと、報道が先に出っ張ってしまって後でもって国会でもって質問するのはぶざまですからね。
これもまた私は現地に行って、選挙であちこち回った関係がありますから、それで聞くんですが、これも私はぶざまなことだと思うんですがね。この倉庫業の問題については、一般倉庫、危険物倉庫、野積み倉庫、貯蔵倉庫と、こういうふうに分かれておって、危険物の問題については毎月毎月在庫品と状況について報告するようになっているらしいですね。 ところがこの会社は、五年間危険物の報告は一回もしない。
こんな私はぶざまなやり方はないと思うんです。健康保険の関係であるならば、いま局長、あっせん案で何とか妥結しようというのなら、妥結した時点が健康保険の関係については一応整理をする時期というふうぐらいにして考えてやらないと、このお母さんたちがかわいそうですよ。
ところが、さっきも申し上げましたように、今度は後から走った船主の方が先になって、積み荷の方が後になるなんということはぶざまですから、何とか法律を改正してこれは一緒に走るようなことに検討していただきたいと私は思うんですが、この点はひとつ大臣の御見解をいただきたいと思うわけです。
五十一年度でございますが、五十一年度の経済の見通しと五十一年度の予算は、そういう意味におきまして私ども非常に真剣に臨んだつもりでございまして、ことしはぶざまな修正があってはならないという覚悟で当たっておるつもりでございます。
みずから議会の子をもって任じてきた三木さんが、衆議院の解散、総選挙さえできないというならば、その末路はぶざまな野たれ死にしかないことを、ここに壇上から警告をし、今回の再度の延長に対し断固反対をして、私の討論を終わる次第であります。(拍手)
こういうことでは、舞台が世界の競争裏にある南極だけに、私はぶざまで情けないと思うのですよ。こういうことでいいのかということですよ。それでプロペラの問題をやかましく言ったのですけれども、依然として醜を天下にさらし、世界にさらしたまま帰ってくるというようなことでは情けないと思いますね。せっかく壮行会をやって、期待しておったにもかかわりませず、こんなかっこうで戻ってくる人もさぞ残念だと思うのですよ。
だけれども、当面の行政を担当される両大臣の立場から言えば、考え方、解釈のしかたというのは一応やはりきちっとしておかないと、二、三の人間が集まって説明を聞くとこれまたそれぞれ違うなんというのはぶざまだと思うのです。十全ではないか知れぬが、当面の一つの考え方はこういうふうに考えていこうじゃないかというところで、きちっとしてもらいたい。
しかし、私は、手直しをするとか取りつくろうということをしないで、ある場合には不手ぎわであり、あるいはぶざまであるかもしれません。しかし、真実のまま改善の道を求めたいというので、事務次官会議で決定いたしました政令を実はそのまま停止したわけです。
二つに分かれて、宮崎と鹿児島に、終点が二つできたなんということはぶざまだと思う。昭和三十二年、それからいままでのいきさつから見て、こういう二つの終点ができるなんていう縦貫道路は、これはないと思うんです。その他の道路ならこれはいいですよ。いやしくも、日本の縦貫道路です。それが大臣のあれでもって——陳情ですよ、この問題は陳情のためにあおりをくらった。理屈をつければつけられますよ。
○櫻内国務大臣 ぶざまであるかどうか、こういう制度をやるということで前進をするというのでございますから、多少なりふりは悪うございますが、私としてはぶざまではない、多少前進をしておるものと思うのであります。
そういう通知まで出しておいて、これはぶざまな話ですよ。 そこで、それはいたし方がないとして、さてあの問題ですが、体育振興の特別委員会がありますので、そこでも話が出るだろうと思いますけれども、ここの問題としては、文部省として事前にいろんなオリンピックの問題で、われわれ委員会のほうにいろいろお話もありました。あるいは協力せいとかいうことで予算の面からいろいろ協力させられました。
○受田委員 一たび法案となってこれが成立すると、なかなか改正はむずかしいし、またせっかくつくったのだし、徳安さんと官房長官の黒金さんとは、 この法律ができるころまではまだ引き続きその任にあられると思いますので、お二人の直接関係されるポストが、次の法律の機会で削られるというようなことは、これはぶざまなことですから、むしろ、そういう結論を待ってこういう法律案をお出しになるのが、筋として正しいんじゃないかと
それからもう一つ、前からの懸案である、大阪の裁判所に検察庁が同居しているわけですね、ああいう大都会の検察庁としてははなはだこれはぶざまな格好です。ほかはみんなほとんど独立しておるのに、ああいう大阪のどまん中でいまだに裁判所に検察庁が入っている。方針としてはこれは分離することになっている。
ところがアメリカにおけるボードは、わが國における生活の実情とは全然異なつた場所に成立をしておる教育運営の仕方でありまして、アメリカのボード・エジユケーシヨンの考えそのままをもつて、わが國の教育委員会法を運営することになりますならば、場合によつてはぶざまな支障を起し、いろいろな不都合なことの成立することが考えられます。