1985-03-26 第102回国会 衆議院 外務委員会 第3号
そういう意味で、中曽根総理が陣頭指揮に立って、外務省も努力しておられる、これは私は大いに敬意を表したいと思うわけでありますけれども、しかし同時に危険なことは、私ども訪米の間に、ウイリアム・ブロック通商代表を含めて向こうの代表者の言う言葉の中に、彼らは四月一日と言っておりますけれども、四月一日のこのMOSSアプローチの結論が出るまで待ってくれ、それをいきり立つ議会対策の口実にしている、そういうことがあるわけです
そういう意味で、中曽根総理が陣頭指揮に立って、外務省も努力しておられる、これは私は大いに敬意を表したいと思うわけでありますけれども、しかし同時に危険なことは、私ども訪米の間に、ウイリアム・ブロック通商代表を含めて向こうの代表者の言う言葉の中に、彼らは四月一日と言っておりますけれども、四月一日のこのMOSSアプローチの結論が出るまで待ってくれ、それをいきり立つ議会対策の口実にしている、そういうことがあるわけです
次に外務大臣、私ども訪米中に、例えばジョンズ・ホプキンス大学とかあるいはニューヨークでの日本協会でのパネル討議というようなものがございました。
私ども訪米調査団の一員の共産党の国際部の副部長増田紘一さんが三月一日にモートン・ハルペリン自身にこの問題で会いました。話がずっと進んで核問題にいったら、ハルペリンさんは、いや、もうそれは答えることでわかってしまうと、質問に答えないという態度。密使はだれだったというので、大浜信泉グループの一人というふうに始めたら、ハルペリンさんはいすから飛び上がった。