2018-06-25 第196回国会 参議院 予算委員会 第20号
○国務大臣(麻生太郎君) これは度々御質問が、同様の御質問をいただいたと思っておりますので、同じようなお答えをしたと思いますが、正確な記憶がありませんので、その種の話がどういう状況で言われたか私ども記憶がありませんが、ただ、そういう記事が出たという話だと思っておりますが、正式な場で、雑談の場でどのような話がしておったかということに関しましては正確な記憶ではありませんけれども、私どもとして、そういったような
○国務大臣(麻生太郎君) これは度々御質問が、同様の御質問をいただいたと思っておりますので、同じようなお答えをしたと思いますが、正確な記憶がありませんので、その種の話がどういう状況で言われたか私ども記憶がありませんが、ただ、そういう記事が出たという話だと思っておりますが、正式な場で、雑談の場でどのような話がしておったかということに関しましては正確な記憶ではありませんけれども、私どもとして、そういったような
今お話がございましたように、感染症対策、力を入れてやっていただきたいと思っておりますが、やはりこれについて私ども記憶に新しいのは、もう少し古くなりましたが、二〇〇八年でしたか、当時言われたのが、新型インフルエンザと言われましたメキシコ・ウイルスと言うんですか、そういったものが世界的な大流行をいたしまして、我が国におきましても、当時、大変だという、これは病原性が強い、しかも感染力が強いということで、非常
例えば、松下電器の松下幸之助さんのいろいろな経営についての考え方というようなものも私ども記憶にとどめているわけでございますけれども、とにかく日本経済がフロントランナーになったということで、ある意味で、モデルのない時代をみずからクリエーティブにモデルをつくって進んでいかなければならないということでございますので、CSRだけで労働者の賃金あるいは処遇について決めるということを主張するというのも、なかなかおいそれと
○国務大臣(麻生太郎君) 私どもとしては、これは大分前にも一回似たような話があったと私ども記憶をいたしますんで、もう社員もほとんど亡くなっておりますんで、私どもとしてはそれらの資料があるかどうか調査してみろということを何年か前、もう大分前だと記憶しているんですが、そのときにもそういうことはやりましたんで、調査をしてみろということを言った記憶もございますんで、私どもとしては引き続き調査をいたしてみたいと
○若林正俊君 お話の中にありましたように、昭和四十年代、高度成長華やかなりしころ、私ども記憶にありますのは、銀行よさようなら、証券よこんにちはなどというキャンペーンがあり、またそういう認識がかなりあったと思うんですね。それが急速になえてきて元気がなくなってしまう。いろんな原因があったと思います。背景はいろいろあると思います。
また、それがどういうメンバーにどういう範囲で配られたのかとかいうことも、全く私ども記憶がございませんで、これについて何かコメントをということを言われましても、ちょっとなかなかそういう記憶のないことを申し上げるというわけにもいかないわけでございます。 ただ、断定的なお話ということになりますと、ちょっとこれ、私ども、確かに幹部が故人を含めまして九名出席をしたことは間違いないわけでございます。
それで、カイムの翻訳をしましたものが独禁法のひな形になったと私ども記憶しております。 そういうことがありまして、日本の独禁法をつくるというのは大変に苦労したと思うんです。最後にまとめられたのは今の橋本総理のおやじさんであります。たびたびの改正を経て今のような法律になってきている。日本の法律として今や全く定着したと考えていいと思うんです。
一次卸、二次卸、三次卸、仲卸、私ども記憶できないぐらい取引市場が実需に基づかない、リスクの分散ということでやってきた産業でございます。したがいまして、現在はいわば全体として見ればむだの多い、非効率の形態になっているということでございます。
○野沢太三君 こういう事態の中で諸外国から御支援をいただいた中で特に私ども記憶にとどめなければならないのは、いち早く駆けつけていただきました救急隊の幾つかの国々の実例がございます。
○田中参考人 第一回の抵当権設定は三月二十八日というふうに私ども記憶しておりましたが、これによりますと十一月二十二日でございますか、となっておりますが、第一回の資金交付は三月三十一日でございまして、第一順位の抵当権を設定しておるというふうに私ども承知しておるわけでございます。
したがいまして、これらにつきまして、地元といたしましてはもちろん、大変な不安を感じている状況でありますし、同時にまた、あの大谷地区におきましては古くから、私ども記憶がありますのは昭和二十九年ごろからでありますけれども、多くの陥没があり、そしてまた人命にかかわった時期もあるわけでありますが、そういうことを踏まえまして、早急にそれの安全対策を確保しなければならない、こういう状況に今来ているわけであります
○河上委員 韓国との請求権及び経済協力協定というのは、同時に基本条約とともに結ばれたわけでございまして、そのときに無償、有償、いわゆる五億ドルというのが決められたことは御承知のとおりでありますが、大変私ども記憶に残っておりますけれども、小坂善太郎委員と椎名外務大臣との質疑応答は大臣もよく覚えておられるかと思いますが、いかがですか。
これはたしか一九八五年、昭和六十年度においては臨時緊急措置、こういう形で財政が回復されたらもとに戻すという約束事であったはずだ、こう私ども記憶しておるのですが、どうも基本的には補助率カットが恒久・固定化をされた、こういうふうに考えざるを得ないわけでございまして、御案内のとおり生活保護が、補助率が最終的には十分の七・五に固定をされました。
○政府委員(末木凰太郎君) 私ども記憶している限りでは、確かに国会でいろいろな委員会でお取り上げいただいております。概略整理して申しますと、私どもの一番関係深い問題から申しますと、ゴルフ場経営が適切に行われているか、この適切といいますのは、利用者といいますか消費者といいますか、その利益の保護という観点から、経営に遺憾な点はないかという観点の御審議がございました。
ちょうど十年ほど前、私ども記憶に新しいのは、石油有限時代が来るということが大変な議論になった時代がございます。あと三十年もすれば石油はなくなると、これはもう真剣にこの議会でもいろいろ言われたのであります。そういうことで、石油を使わないようにしよう、できるだけ石油を少なくしようと、十年ほど前に。そういうときに初めて私は、環境の一つの節目があったように思います。
したがいまして、法律をとにかくつくらせてみていただきまして、御審議をいただいてということをまずやらせていただきたいと思っておりまして、堀委員がかなり時間をかけて、また大所高所からのお話もあり、お話しになられましたことはよく私ども記憶にとどめさせていただきたいと思います。
下請の方生等で利用された方もおられるわけでございますが、そういう意味で、グリコ、森永の場合は、パートの従業員の方に雇用調整助成金が直接適用されたのではなかったというふうに私ども記憶いたしております。 それから、もう一つの家族の協力があった、こういったようなものに対する配慮はどうなんだろうというお尋ねでございます。
今お話しのように判検事の初任給調整手当が約十五年ぐらい前にできたときは、私ども記憶しておりますけれども、法曹一元の実を上げる上からも、そしてまた優秀な人材を判検事に集めるといったら語弊がありますけれども、なっていただくという観点からも大変歓迎されたことを記憶しておるわけであります。
概括的にいえば、ECが統一的に足並みをそろえてこの税制を導入し始めましたのは一九六〇年代から七〇年代にかけてでございますけれども、多くの国におきましてその前身となる、これは取引高税であったり仕入れ税であったり、いろいろな前身となる税目を持っておった国もございますので、委員がおっしゃるように、導入直前と直後でいわゆる直間比率が非常に大きな変動を示さなかった国も幾つかあるように私ども記憶いたしております
ただ、委員お尋ねの四五%程度ということにつきましては、臨時行政調査会の審議の途上でどういう質疑があったかということにつきまして、当時の臨調委員でありました瀬島参考人が国会で、四五%程度という議論はあったというふうにたしか御紹介をなさっておられたように私ども記憶しております。