まず一つは、車、つまり道具ですね。先ほど申し上げようと思ったんですけれども、車が凶器と位置づけられるとするならば、例えば、便利であるけれども危ないもの、包丁を持って酔っぱらいが道を歩いていたら、みんなが危険と思うのと同じ。使い方はきちっとしなきゃいけない。包丁自体もちゃんとカバーをつけるなりなんなりしなきゃいけない。道具それ自体についての安全性を確保しなきゃいけない。
たとえば線を引いたり匀配を出したり、つまり道具としての機能もきわめて大きいわけですね。この道具としての機能もあることは認めますか。かね尺の場合、計量器としてだけでなく、道具としての機能もあることを認めますか。
我々のほうはつまり土地でなくて、そういうつまり道具を以て干すのであるから、これは漁具だと我々は解釈をしております。政府の漁具に対する考え方と、やはり我々漁業者の考え方がそこが違うのであつて、網干場ということを秋山委員が言われるから即ち土地である、こういうふうに解釈しておるんじやないかと思いますので、そこはあとでよく速記をとらずに政府とも話し合えば、説明はよく私はわかると思います。
どうも今まで一面の、つまり道具のようになる人はあるけれども、経済世界全体に、人として活動する面が足りない教育を今までやつておつたように思うし、今後せつかくこういう産業教育振興助成法が出た場合には、そうしたできるだけ完全と申せませんでも、あらゆるものをできるだけ多く具足した人間をつくるという意味において、今言つたような方向の学校をつくるということについての御構想なり、御研究なりがあつたかどうか、伺いたい