1962-08-28 第41回国会 参議院 大蔵委員会 第5号
つまり、講和会議にかかることは不利だ、当時言っておるでしょう、池田さんも。ここであなたもこの間言った。そのときに、十九億も二十億ドルも、そんな債務を当時の日本に押しつけられては、日本の経済情勢ではどうにもならぬのだ、だから講和会議のときは、話し合って後日きめるということで、あとできめる、そういう考慮の上に立って、講和会議ではきめなかったのだ、こういう。そうじゃないですか。外務大臣、どうですか。
つまり、講和会議にかかることは不利だ、当時言っておるでしょう、池田さんも。ここであなたもこの間言った。そのときに、十九億も二十億ドルも、そんな債務を当時の日本に押しつけられては、日本の経済情勢ではどうにもならぬのだ、だから講和会議のときは、話し合って後日きめるということで、あとできめる、そういう考慮の上に立って、講和会議ではきめなかったのだ、こういう。そうじゃないですか。外務大臣、どうですか。
きめるべきものを、原則としてきめるべきものをきめなかった、つまり講和会議で本来きめるべきものをその議題からはずした、つまり講和会議のきめるべきようなそういう重大な問題をはずしたということは、その重さにかかわるような重大な、つまり了解事項確約を与えておるのじゃないか。そうでなければ、当然これは講和会議にかけて結着をつけるべきものだ。
つまり講和会議を開くというのも一つの妥協であります。妥協が悪い、だからきびしさをもつて内部の病患をえぐるなんというほんとうにきびしい字句を使つておるということは、これはまことに私は不穏当な言葉だと思いますが、病患をえぐるというその事実をあげて、ひとつ御指摘を願いたいのであります。
つまり講和会議以後におきましても、見返り資金で融通してもらつた資金が、債権として残るのであるかどうか。あるいはそのときに帳消しにして日本にくれつ切りになつて、講和会議後には痕跡をとどめないというお見通しであるのかどうか、この点が第一のお尋ねであります。
この中にあつて、日本の自主独立に関するわれわれの願望、つまり講和会議に対するわれわれの願望というものを、いつわれわれは表明できるのか、いかなる方法でわれわれは表明できるのか。講和会議のときは、おそらくイタリアの講和会議の例でもわかるように、パリの平和会議で、ガスペリが行つて陳弁したけれども、もちろん聞かれなかつた。かれは悄然として帰つたと書いてあります。日本の場合も同じことであります。
つまり講和会議に無関心だというと、向うから言われたままになる。そこで余り批評は構わないということを言われることが一つと、それから従つてその前に世論を形成し、同時に講和会議に当る十分なる態勢を日本国で作らなければならんということが盛んに言あれる。この二つが言われておりながら、軽々にこの講和会議の問題を論議して呉れては困る、今のは三つ目に出ておる。