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13件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1954-10-07 第19回国会 参議院 文部委員会 閉会後第17号

私は、とんでもない、そんな落成式などして喜ぶ気持は毛頭ありませんから、落成式などお断りいたしますといつて、私は未だに落成式もしていないような事情であります、  それから、あそこの施設を如何に完備して頂き、或いは理想的にして頂きましても、私どもはやはり僻陬の地とか、その他特別の事情があれば別でありますが、あの同じ校区内にあつて、隣におる子供は本校に通い、あすこにいる子供はあれから一歩も出ないで隔離した

宮崎松記

1954-03-30 第19回国会 衆議院 地方行政委員会 第36号

それからいま一つは、都道府県境界にわたつて、市町村の一部が住民投票によつて隣の県へ行き得るという道も、現行法で開かれておるのでありますが、これはやや規定が不備でありまして、これもある一県につきまして合併計画があつた場合に、隣の全然関係のない県の一部の人がそれに乗り移つて自分たちがその県へ行きたいというふうな道を開かないと、ちよつと規定が不備な点がありますので、その場合に自由に境界にわたる区域の一部

小林与三次

1954-02-23 第19回国会 参議院 通商産業委員会 第12号

そこで例えばそのガス事業設備が悪かつたところにそれが爆発した、従つて隣近所が迷惑をした、従つてガス事業法が立入る、これは理論的なんです。ところがすでに鉱業法においてたとえその地区の中にあろうとあるまいと、鉱業法で十分なる監督設備をしておるものにこれがタツチするということは、一つ対象物に二重の監督をするということで、この立法の目的が違つているじやありませんか。

小野義夫

1953-10-09 第16回国会 参議院 地方行政委員会 閉会後第5号

それだから事実上、いろいろ団体が陳情したりなんかせざるを得ないのでございますが、こういう式に、まあこれは恐らく部落の問題でありますから、部落ならば、恐らく大きな部落が、数部落もありますが、而も部落民がこぞつて隣の村に行きたいと、こういうことになればその署名はこれは容易に実は集まるはずだろうと思うのであります。

小林與三次

1952-12-01 第15回国会 衆議院 運輸委員会 第4号

その第一は、自動車は数時間にして一つの県を一つつて隣の県に入つてしまう。一日走れば数府県にまたがつて走るように、その行動半径は一府県のような狭い範囲に跼蹐しない非常に大きなものでありますので、これを一府県の知事が監督するということは、まつたく自動車行動性機動性に即応しないということから、広域行政であるという意味で国家事務であると思うのであります。

中村豊

1951-05-19 第10回国会 衆議院 運輸委員会 第26号

第二十九条へ行きまして、いろいろな旅客に対する制限でありますが、この中で、非常によごれた服装をしておつて、隣の人に迷惑をかけるというものも当然禁止すべきものだと考えますが、御意見はいかがでございましようか。  さらに時間節約のために続けますが、第三十条におきまして、この事業者が遵守すべき事項を運輸省令できめると書いてあります。

滿尾君亮

1950-03-25 第7回国会 衆議院 水産委員会 第24号

生活上の配給だけを受けておつて、隣の村に定置漁業権なり何なりを取得して、そうしてそこに番屋も置き、事務所も設け、実質上そこで漁業経営を行い、とつた漁獲物、資材の配給一切をその隣の村においてやつている。こういう場合は、その生活根拠である住所の方においては、ただ生活上の配給を受けて生活をしているというだけでありまして、事業根拠は隣村にあるのであります。

鈴木善幸

1947-11-19 第1回国会 参議院 予算委員会第二分科会 第3号

そこで六年以後の高等科の二年というものを中學校にしておけばよいのでありますけれども、それをやめてしまつて隣の村へ合併した。その合併したについて、その間に山がある。冬になつたら、私はこれは五月頃であつたのですが、冬になつたら女の子供をどうして通學させるかと思つて心配しておるのであります。アメリカあたりではそういうことはせんのであります。その學校はなんでもよいのであります。

服部教一

1947-09-22 第1回国会 衆議院 厚生委員会 第16号

そういたしますと今度兒童福祉法ができまして、兒童委員ができて兒童の保護には細心親心をもつて保護していこうというときに、やはり末端におきましてこれは不良だというような先入主からと申しましようか、その少年法によつて隣の家の子供は同じ程度であつて兒童委員が來ている、隣りの家はおまわりさんが來ているというようなことから、よけい子供心をゆがめていくというような場合も、これから多く起きてくるのではないかということを

山崎道子

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