1954-11-12 第19回国会 参議院 通商産業委員会 閉会後第15号
ここには更に大規模な断層破砕帯が存在いたしまして、却つて福島地点よりも不適当であることがわかりましたので、二カ月で調査を打切ることになつたのであります。福島地点で、上、下流二本の河底トンネルを掘鑿しました結果今までボーリングでコアーが取れませんで判定に苦しんでおつたのでありまするが、その地下の地質の状況もこのために明らかとなりました。
ここには更に大規模な断層破砕帯が存在いたしまして、却つて福島地点よりも不適当であることがわかりましたので、二カ月で調査を打切ることになつたのであります。福島地点で、上、下流二本の河底トンネルを掘鑿しました結果今までボーリングでコアーが取れませんで判定に苦しんでおつたのでありまするが、その地下の地質の状況もこのために明らかとなりました。
それから金銭補償だけかというお尋ねでございまするが、これは私どものほうといたしましても、又福島県といたしましても、移転先、替地というようなことを希望されるかたにはそのお世話をすることになつて、福島県でもやつておられます。私どものほうもそういうつもりで、実は先般も豊橋のそばの高師、天白という所も現地に人が見に行かれたりいたしております。
しかるに、七月末日公益事業委員会の廃止を好機として、吉田、白洲の陰謀によつて福島県知事を買収し、当時の野田建設大臣を威嚇し、総理大臣の強権を濫用して、極秘のうちに水利権強奪の閣議を開き、一夜にして東京電力の水利権を奪い去つたという、前代未聞の怪事件であります。
大正二年にこれら土地家屋は高松宮宣仁親王殿下に贈進せられ、その後、増築その他の変更もあり、大正十四年一月に右御用地を整理され、百九十八町歩余を福島県に賜与せられ、なお昭和二十二年以後、自作農創設特別措置法の実施に伴い、宅地百四十五坪並びに田畑の全部、山林の一部約十町歩を譲渡されたので、現在の土地家屋は、宅地三千坪余、山林原野等約九十町歩、家屋約六百十三坪でありまして、これが、このたび、この議決案によつて福島県
従つてあなた方が、福島県側の認可申請書を御覧になつて、福島県側と折衝されたときには、そういうことがあつたかなかつたか。先ず建設省側として東京電力に当る前に、福島県側の知つたことについてお聞きになるのが筋道だと思う。そういうことをお聞きになつたかどうか、こういうことをお尋ねしておる。
それに従つて福島県知事は公益事業委員会の意見を求めた。それに対して公益事業委員会が意思表示をしなければならないというときには、建設大臣に相談しなければならないということになつておるのであります、規則で。その相談は私どもは受けておらないということであります。
公共事業令第五十九条によつて福島県知事は公益事業委員会と建設大臣に水利権の許可を票伺をした。ともにこれは二月十三日に公益事業委員会に提出されておる。そこでこの最後に、建設大臣に協議するということが出ておる。これは公共事業令の第五十九条である。そこで公益事業委員会は、七月一ぱいで終りましたから、公益事業委員会からはこういう書類は出しておらない。
○成瀬幡治君 林野庁のことを少しお尋ねしたいのですが、今度の修正でまあ内局になり、そして行政管理区間というのですか、そういつたものが少し変るようでございますが、何かこの木曾福島にあつたのが長野へ変つて行くのは、二年前くらいからまあ準備されておつて、二十七年度の予算に約二億円ほど計上されておると、それに比べまして、例えば前橋などが、これがなくなつて福島に移つて行くというようなことが機構改革につれて、忽然
第二の場合は、一地方以上の靜穏を害するおそれがある騒乱が生じ、または生ずべき危険のある場合、たとえば過去の事例を申し上げますならば、五・一におきまする皇居前事件でありますとか、あるいはさらにさかのぼつて福島県の平事件でありますとかいう一地方以上の靜穏を害するおそれのある擾乱が生じたり、または生ずべき危險のある場合に、この指示が運用されるものであろうと考えておるのであります。
従つて福島県にたつた一つ今第三種として指定されております四倉港よりも漁港としては優秀な漁港でありますが、先ほど申上げましたように未完成であります。そういう関係にあるわけです。
そこからこれは大きな問題と思いますが、御説明の中には、只見川の開発が大体において全國的な補給電力、ピークの発電力という御説明であつたのでありますが、そういうふうに大局的に福島縣がお考えになるのは非常に結構だと思いますが、ピーク電力だけを発電なさつて、福島縣民がそれに満足しておられるかどうか、そういう点をお伺いしたいと思います。
○原口忠次郎君 私は先程委員長の御質問の、福島の部長に質問せられた日発は新潟案を十分研究調査の上決めたか、こういう御質問であつて、福島の部長から只見川総合開発委員会で調査の上決めたというようなお話だと思いますが、私は本日の委員会が証人お二人がおいでになつておるだけでありまして、政府委員が誰もいない。從いまして私は只見川問題については、聞いておりますと、福島案は端的に申しますと電力開発の計画である。
しかし業者及び東北民に聞えておるものは、非常に具体的のものであつて、福島と新潟というようなものは関東ブロツクの中に入るのだというようなことまで、うわさされておるのであります。この点につきましては從來ともわれわれも内閣の総合國土審議会等におきまして、十分内閣のこれに対する考え方等も聞くのでありまするけれども、まだ判然としたものが出ておらない。それでこの問題は非常に重大な問題になる。
それで五月何日でしたか、日は忘れたが、五月中にそのことが決定して、私は初めは福島縣と長野縣をまわる予定であつたけれども、福島県は私の郷里である関係から、私の希望によつて福島縣だけをまわることにいたしました。それで日程としては七月二日から一週間という予定であつた。それで私はまず二、三日休養をとつてからという考えから、郷里の方に二十八日に帰つて、國会報告の日程は七月二日から開始した。
しかもこの事件をめぐつて福島縣下の主要都市の警察が襲われておる。若松市、郡山、福島、これらの都市において、まず第一に共産党の権力鬪爭というので市会が襲われ、郡山市会は遂に議事を開くことできずして閉会いたしております。同時に福島縣会に赤旗を持つて來て、議場につるし、共産党員が二、三百名傍聽席に押しかけて、喧噪をきわめた。そのために遂に縣会も休議するのやむなき状態に至つた。
それから吉田峯夫、水谷某なるもの、計十八名が集まつて福島市において福島地方の委員会を開いておる、この委員会においての情報は、福島縣は全國で一番優位である。これをいかにして衝いて行くかについて討論をいたして結論を出している。二、三日様子を見て、地区内の様子によつてはこの運動を継続して行かなくちやならぬ、福島方部では警備が固いので入れない。
二十九日に、三十日の午後四時までに撤去するという通告をいたしましたので、これに対しては共産党側も相当抵抗するのでないかというような空氣も見えましたので、一應縣内の浜通り地区の警察官約二百名ばかりの應援を得て、警戒のうちに撤去しようという考えを持ちましたが、三十日の朝になつて福島、郡山、あるいは若松方面にも、共産党員の指導によると思われるような、警察の警備を必要とする事態が起りつつあるような情報がありましたので
○本田證人 昨年の秋に全國的な暴力團檢挙の方針に則つて、福島縣では平市警察が一番先に手をかけまして、その周辺の関係者十数名を檢挙いたしております。
場所の点を申し上げますと、それは那須山の裏であつて、福島懸の郡山から入る柳津線で行つて池谷で下車する。ここから約三里栃木懸の方面に入るところに、九十四万坪の鉱区があります。現状は私は刑事事件のために視察に参りましてわかつておるのであります。これはまつたく個人でやつております。相当に露出している鉱区であつて、現に出ております。
われわれが去年の暮から粒々辛苦しまして約五箇月、そこまでこぎつけてきた間には、森という老人はしばしば吹雪の中を貨物列車の材木の上に乘つて福島縣と山形縣の縣境のトンネルを越えております。まつ黒になつて東京まで何囘となく往き來した。往き來した理由は、世耕氏から何囘も申請書に類するもの、あるいは必ず供米をせよという誓約書も私が勝手にはんこをつくるわけにいかぬ。