1953-02-19 第15回国会 参議院 文部委員会 第14号
従つてその際にはやはり越中島のほうの整備というようなこともございますが、現在清水にございます商船大学につきましては、やはり神戸商船だけに重点が行つて、清水のほうがなおざりにされるというようなことのないように、やはり学校当局と十分連絡しまして、施設、設備の整備ということには文部省として心がけておるつもりでございます。
従つてその際にはやはり越中島のほうの整備というようなこともございますが、現在清水にございます商船大学につきましては、やはり神戸商船だけに重点が行つて、清水のほうがなおざりにされるというようなことのないように、やはり学校当局と十分連絡しまして、施設、設備の整備ということには文部省として心がけておるつもりでございます。
個人の例えば清水建設なら清水建設というものはこれを相当借りておつて、清水建設一軒の基金が仮に五千万になつたという場合に、ほかにはまだ借りない所もある。併しながら五千万円ということは五千万円によつて清水建設が借りたところの、保証してもらつたところの基金として払込んだ五千万円があるために全体の会社の信用量が増すかというと余つたという場合には清水建設に返すのですか。
具体的に申上げますと、最近神戸商船大学の新設というような問題が起つて来ておるようですが、これに対しまして私どもも若干関心を持つて勉強しておりますし、ここで是だとか、非だとかいうことは私は発言する段階に参つておりませんが、この大学の新設のごとき、或る段階には私は文部当局は造船計画と船員の需要計画あたりから言つて、清水商船大学を育てて行けば、それで十分だというような御見解を文部当局が持つていらつしやつたということは
今芦屋山の方に芦屋市で持つておる五十万坪の広域な土地があり、今県で道路ができておりますし、そこに池があつて清水が出ておりまして、その周囲一帯非常にいい土地であり、これを外人に提供しましても、それだけでも外人は喜んで自分の費用をもつて自分の家を建てしくださるし、そう国家的に、町及び国の費用でいろいろな施設をやらなくても、この五十万坪の芦屋から山の上の地域を開放するだけでも、外人は自分の費用をもつて建てると
しかも、大体五名を一組にして調査に当つておつたのでありますが、その班長はそれぞれ群衆によつて清水税務署に引きもどされました。そうして群衆が署の建物を完全に包囲し、ちようど税務署の職員は多く不在でございましたが、国税局から主任として出張して参つておりました杉田という事務官を署の前にひつぱり出しまして、これをつるし上げにいたしました。
丁度鹽川がいなくつて清水がいたんで、清水に鹽川さんがやつて来たらその金を一万円か一万五千円か知りませんがその金を渡してくれと、こういうことで佐藤が帰つたらしい。ところでその後鹽川が受取つて頼まれた鹽川の友人にその金は渡した。
これは宮本が留置場に入りましたのは、私は丁度班内に居つたのでありますが、清水、今の班長に対して二人で叩き合つて、清水をそこに叩き付けて血を流した事件があります。そのときにグンチンという憲兵がそれを見付けまして、それを收容所長に申しまして処分された事件があります。留置場に処分されておる宮本であります。清水の件につきましては、これは何か報告の間違いから処分されております。
從つて清水秘書官とか、周辺の方が、そういうものを使用しておつたことを知つたならば、おそらく相当の注意もあり、おしかりもあつたと思いますが、おそらくそれは御存じなかつた。私も見せなかつたのであります。
○鍛冶委員 次いであなたはずいぶん前から思うようにいかないで、金を請求に行かれたようですが、何か首相官邸へも行つて、清水祕書官その他と会つたということですが、そういう事実があつたか。またどういう話がありましたか。
○池谷委員 そのときにどんなことを話しておつたのか、そのときに三人の方々が会つたときに、何と言つて清水氏をひつぱり出して、清水氏に話したのであるか。