1948-05-25 第2回国会 参議院 治安及び地方制度委員会 第17号
外の地方のそういつた驛につきましても、私の方の今の取締官というものは、將來は大體九千人にいたす豫定にいたしておりますが、只今のところ養成できておりますのは、僅かに千二百名程度であります、ですが將來人手が増し次第そういつたような特別の人間をそこに派す、そうしてその取締りに當る、こういうことをやつて行きたい。何分にも驛員がそこに、小さな驛で非常に人手も少い。
外の地方のそういつた驛につきましても、私の方の今の取締官というものは、將來は大體九千人にいたす豫定にいたしておりますが、只今のところ養成できておりますのは、僅かに千二百名程度であります、ですが將來人手が増し次第そういつたような特別の人間をそこに派す、そうしてその取締りに當る、こういうことをやつて行きたい。何分にも驛員がそこに、小さな驛で非常に人手も少い。
この驛は明治三十年に讚岐鐵道當時設置されておつた驛なのでありますが、三十九年に鐵道が國營になりましたに伴つて廢止になつたわけであります。その後しばしば當局に驛の設置方を地元から要望しておつたのでありますが、ようやく昭和十二年になりましてその要望が達せられてガソリン・カーの停車場が設けられることに決定いたしたのであります。