1954-09-09 第19回国会 参議院 経済安定委員会 閉会後第5号
それじやそういうふうに整理状況に陥つた造船所はどういうふうにしてこれを救つて行くかということはまだ具体的ななにはございませんが、これはその現象が現われた上で、一つ何かの措置を考えなければいけないのじやないかと、かように考えております。
それじやそういうふうに整理状況に陥つた造船所はどういうふうにしてこれを救つて行くかということはまだ具体的ななにはございませんが、これはその現象が現われた上で、一つ何かの措置を考えなければいけないのじやないかと、かように考えております。
○甘利説明員 今の大西先生のお話によりますと、たとい十次造船が決定されても、隻数が少いということと、また市中の協力を得るという点において、弱小の船主についておつた造船所はなかなか救いがたいというお話でありますが、本来この造船資金は造船所につける金でなくて、海運業者が開銀から借りる金でありますので、このような方法でやつておる限り、銀行の融資を得られるような、あるいは融資承諾書を得られるような船会社と一緒
それからもう一つは、各造船所は、いろいろ主だつた造船所はございますけれども、この造船所というものは、殆んど技術においても、それから船をこしらえる能力といいますか、同じ船一隻こしらえましても、いいのができるところと、あんな精巧な機械でございますから、いい船ができるところと、それから二流というのがあると思う。
とにかく従来海軍工廠というものもありまして、あの厖大なる日本の海軍を維持して行つた造船所をすべて維持して行くということは、実際の問題として至難であろうと思うのであります。
なおその造船の技術の上についてでありますが、戰爭中大きな船ばかりつくつておつた造船所が、急に最小の、つまり鋼製百三十五トン程度の船をつくるようになつたということは、ちようど造船の技術者に、大建築をしておつたものがバラツクを建てるというような氣持が相當働いたかのように思うのであります。