1949-05-11 第5回国会 衆議院 文部委員会 第15号
かつて世界から日本は好戰國民だ、戰爭が上手な國民で、ほかに能がない國民のように外國から誤解されたこともありますが、すでに一枚看板のように誤解されておつた戰爭がなくなつた今日、日本民族としては何で行くかといえば、文化國家として立つて行くのであります。
かつて世界から日本は好戰國民だ、戰爭が上手な國民で、ほかに能がない國民のように外國から誤解されたこともありますが、すでに一枚看板のように誤解されておつた戰爭がなくなつた今日、日本民族としては何で行くかといえば、文化國家として立つて行くのであります。
○椎熊三郎君 日本民族の最大なる不幸であつた戰爭の責任者東條以下七名の戰犯者は、本日午前零時三十五分をもつて処刑せられたとの報道に接して、私は実に感慨無量のものがあるのでございます。今こそわれわれ日本國民は、平和日本再建のために嚴粛なる祈りを捧ぐべきときであると思われます。
というものは全く戰爭犠牲者であり、彼が二度も應召してその間に妻に姦通事件があつたといつたような点から見ましても、彼が博徒の使い走りに成り下つてしまつたということもあながち無理ではないのでありまして、今日戰爭中二度、或いは三度、永年に亘つて應召した多くの夫、多くの男が、終戰後家庭生活に入つた場合に非常に不幸な例を招いている事実が多々あるのでありまして、結婚生活が破れた、或いは親との立場が非常に惡くなつた、戰爭
そういうような関係で一つの制度のもとに米價の調節が行われておつた。戰爭前約十箇年くらいでありましたが、その範囲においてはある安定が保たれたんじやないかと私は考えております。
○証人(前田啓太君) それが大体村の事情をお話しなくちや分らないのですけれども、その当時私はまだ戰時中農業会長をしていました時には、実は私の親父とそれから親族のものが皆政友会で、大体村は政友会、民政党と分れておつた。戰爭中は村長も政友会に属し、役場、農業会は政友会の手で握つていたのであります。
併しこれは一方から申しますと、軍人であつた、戰爭に敗けたというようないろいろなこんがらがりで、顧みる人もないような状態でありまするが、併しここでまあ一種の墓地というような意味においても考えを以てやることにちつとも吝かでないのではないか、そういう意味において、厚生省の一つの所管に当然移つて、そうしてこれを取扱つて行くべきものであると考えますが、陸軍省、海軍省のなくなつた後におけるいわゆる旧來の陸軍墓地
私の意味するところは、御承知の通り日本は今長い間違つた戰爭によつて敗戰をして、経済的にも政治的にも何とかして立ち上らなければならない、そういう立場におかれております。このためには生産を復興することももちろん必要でありますけれども、この委員会のような機能によりまして官界、財界、政界の淨化をはかるにあらずんば、日本の敗戰のこの惨めな地位から立ち上ることはできない。
次に、私は生産協議会の問題につきまして質問したいのでありますが、その前に先ず第一番に私が考えますことは、この前も私はこの質問をいたしたのでありますが、日本の石炭は大正十五年には月に四百万トンできておつた。戰爭中におきましても、少くとも三百万トンはできておつた。そうして戰時中においては十五、六トンの一人の採炭能力があつた。それが今日はどうであるか。
市中銀行が從來やつておりました戰爭保險金関係の貸出し、つまり戰爭保險金を保險会社が支拂うために日銀から銀行が借入金をいたしまして、その金を損害保險中央会を通じて保險会社に貸しておつた金が、可なり溜つておつたわけでありますが、その戰爭保險金の金は結局國庫から支拂うことになつておりましたので、その國庫から支拂われた交付公債がこのときに出たわけでありますが、その交付公債を日本銀行が引取りまして、從來貸しておつた戰爭保險融資
それから今申されました第ニ次世界大戰の初めに英米ソの方の行つた戰爭は進歩的戰爭だという解釋を當時ソ連邦はとつておつたことは事實であります。
或いは戰爭がすでにもう負けそうになつたという形相が濃くなつた戰爭末期でさえも、四十万人の労働者で、一ケ月平均四百万トンの生産がありましたのに、現在平和に立ち帰り、而も全部が日本人で四十万を突破する労働者に主食六合の配給をしながら、尚月に二百万トン台にまごまごしておるという現在の我が國の炭鉱の状況を、表面だけ見ますれば、いかにも機構が惡いかのごとき錯覚を持たれるかも知れませんが、一度石炭鉱業の実相を知
いよいよ終戰になつてみると、正しいと思つた戰爭が、まさに惡い戰爭であつたということを知つたとき、私は一時自暴自棄になりました。しかしある晩、外地において私の夢路をさ迷い歩いたものは、ふるさとの山川草木でありました。その山川草木を思い、ああ、おれは輕はずみなことをしてはいかぬ、村を出るときにはどう言つて出たかということであります。戰爭には負けた。惡い戰爭には確かに負けた。
水産廳の問題に區切つておかしいのでありますけれども、非常に水産の仕事が發展しておつた、戰爭末期の五大會社があつたりした當時には、非常に大きな規模をもつた水産業でありましたので、その當時から水産廳設置ということがやかましく言われておつたのでありますが、そういうことが全然問題にならなくなつた現在において、ただ一つ問題になつておるのは、お話のように食糧行政の面から大きく取上げられるということでありまして、