1954-04-07 第19回国会 衆議院 地方行政委員会 第40号
また不動産取得税なども、百分の三というものを不動産の取得について創設をするのでありますが、われわれが思い出しますのは、戦争に入る前に、この不動産取得税が百分の三という率で始まり、そうして戦争の遂行と並行してこの率がどんどん上つて来て、最後には百分の二十まで上つた。ちようど
また不動産取得税なども、百分の三というものを不動産の取得について創設をするのでありますが、われわれが思い出しますのは、戦争に入る前に、この不動産取得税が百分の三という率で始まり、そうして戦争の遂行と並行してこの率がどんどん上つて来て、最後には百分の二十まで上つた。ちようど
しかもこれはあなたに質問する意味ではございませんが、今月の初め、天然痘が非常に流行しておりました対馬を拠点として、その天然痘の患者を乗せた漁船が十五日間にわたつて玄海灘一帯に漁業をしておつた。ちようどこれは天然痘の黴菌を玄海灘へまいて歩いたようなものだ。
この間呼んだ中島炭政局長は一回も出ておらぬ、物価庁からは和田勝美という者が出ておる、大蔵省からは高橋謙二という者が出ておる、こういう者で、買手側の代表として出たのは大阪石炭協同組合とか、あなた方みたいな元公団の業務局長をしておつた日本海陸運輸株式会社というようなもの、こういうようなメンバー、たとえば大阪のごときは、大西傳四郎というのは小沢が局長をしておつた、ちようどそのときの石炭局の次長、今のあなたの
その席上においてまずどういう点が一番考えられたかと申しますと、一般大衆のほとんどそのことごとくが失望しておつた。ちようど対策審議会の方からも参られておりましていろいろ御説明があつたのでありますが、国民ひとしくこれらに失望いたしておつたということであります。
そこに、約三箇月ばかり前に真空地帶に入つたちようど三百八十名ばかりの日本人の一団がおりまして、私はまた顔の知り合いから、とうとう団長にされまして——団長をしなかりたら、君の身分をばらしてやるということから、痛しかゆしでもつて、こちらも団長になりまして、約三百八十名の日本人を、どうしたらここを突破して奉天にまで送り届けることができるかということにずいぶん苦心しました。
それは産業防衛準備会ができておつた、ちようどその総会に日鋼の問題も報告されておる。ところがたまたま争議が起つた。それで警官が断圧するというので、とりあえずみんながおつとり刀でかけつけた。そこででき上つたのがこの共同闘争委員会になつているのです。
ところがこの問題は今からすでに三十年前に考えられておつた。ちようど明治四十三年の水害、大正二年、大正六年の水害、こういうような水害のためにその當時の為政者たちがこれは河川の合流をしなければいかぬ。河川合流によつてその危險分散の方式をとらなければうまくいかないということを考えたのです。そして江合、鳴瀬の河川合流問題が起つた。ところがこれはもちろん一利一害があります。