1954-05-21 第19回国会 衆議院 外務委員会 第53号
○岡崎国務大臣 これはちようど新聞関係の諸君もおられますので、特に申し上げておきますが、どの新聞でありましたか、一億二千万ドルの借款を交渉に行くのだということが数日前に出たわけであります。それがもとになつてアメリカからそれに対して交渉があつたとか、ないとか、一億二千万ドルじやない、一億ドルだとか、いろいろ報道があるわけであります。
○岡崎国務大臣 これはちようど新聞関係の諸君もおられますので、特に申し上げておきますが、どの新聞でありましたか、一億二千万ドルの借款を交渉に行くのだということが数日前に出たわけであります。それがもとになつてアメリカからそれに対して交渉があつたとか、ないとか、一億二千万ドルじやない、一億ドルだとか、いろいろ報道があるわけであります。
発表はあつたかないか知りませんけれども、ちようど新聞発表に続いて厚生大臣が関西へ旅行されて、関西の一地方の新聞にこれが載せられたというなら私は了承いたしますが、大新聞といわれるものが、筆をそろえて全部同一歩調に従つて、厚生大臣は年末までに三万円ないし五万円を公務死外の者にも今審査中の者にもやるということを言明されたというので、全国のこれに該当する遺族の人人は非常に大きな期待を持つておるのでありまして
抗議文も私が参りましたときに、ちようど新聞社の方も私のところに出すところだと言われたので、そこで私はじかに受取つて来たような形でありまして、新聞の一部には出ておりましたが、あとのには出たかどうかしりませんが、そういう状態であります。藤田君と某氏を間違えたことは間違いないから、藤田君に向つて私は謝罪しております通り間違いありませんから、どうぞ御了承願います。
そして、ちようど新聞広告しましてから十四日目におりております。 それから、向うの生活は、私は個人の化学工場の技術者として奉職しておりました関係上、高額をいただいております。向うの金で三百二十万元、一月にいただいております。それから、過去八路軍におつた当時の生活というものは、先の壱岐さんのお話のように、非常に切り詰めた生活であつたわけです。月に衣食住以外に十万元いただくだけでした。
昨日ちようど新聞協会の方から、いろいろ参考資料として、学会の皆さんがこの法案について御研究になつたもののパンフレツトを送つていただきました。これは私は皮膚で物を考える方ですからわからない、わからないが、なるほどどうもあれを見るとたいへんなんですね。あれだけ読んでおると、もうわれわれの言論の自由も、思想の自由も跡かたもなくなつてしまう。そういうふうに見える、これじやたいへんだろうと思う。
それからまた一昨日でございますか、たしか信託協会がございました席上におきまして、ちようど新聞記事が出たのでございますが、大蔵大臣といたしましてもそういうことは考えておりませんし、また大臣と日本銀行総裁との間においても、そういう話があつたことはないということを申されたのを、私は聞いておるのでありまして、その意味におきまして、大蔵省全体といたしましてそういうことは考えておらない、こういうふうに申し上げられると
今まで通り預金に比例して出すということは事態に沿わぬ、従つて銀行の預金額に比例して出すようなことはするな、これがなぜわからぬかということを、ちようど新聞記者と会う前に事務当局に指示したものでありますから、そういうようなことを言つたのであります。
ちようど新聞社の人たちも、それから日映の人たちも應援に來たりしていましたから、その人たちが一齊に向うの建物の中に飛び込んで行きました。その中で私はどういうことがあつたか反対側の建物の中におりましたので存じません。
私も帰る時間だ、またあした來てやろうかとか言つておりましたが、一應それが済むと、すぐアカハタの特報という、ちようど新聞の半分くらいの紙がありますが、それに分会の名前——ここにその当時のものを私全部はとつておりませんが、一部とつております。アカハタ特報とか、横浜民報、分会の関係とか、友誼團体の壁新聞といいますか、こういうものがべたべた私の駅のホームとか、跨線橋に張られてしまつた。