1977-12-19 第84回国会 衆議院 外務委員会 第1号
○寺前委員 私は、検討事項に入れますと、こうおっしゃっておるけれども、九日からやろうというのだから、もっと積極的に、このときに話をきちっと申し入れてこなんだら、どたん場まで引きずり込まれて、また軟弱外交だと言われるようになるんじゃないだろうかと心配するから、この協議会の中にしっかりと位置づけてこられる必要があるという立場をひとつぜひともとってもらいたいということを、重ねてお願いをしたいというふうに思
○寺前委員 私は、検討事項に入れますと、こうおっしゃっておるけれども、九日からやろうというのだから、もっと積極的に、このときに話をきちっと申し入れてこなんだら、どたん場まで引きずり込まれて、また軟弱外交だと言われるようになるんじゃないだろうかと心配するから、この協議会の中にしっかりと位置づけてこられる必要があるという立場をひとつぜひともとってもらいたいということを、重ねてお願いをしたいというふうに思
広島、長崎はすぐどたん場で敗戦になったから実施しておりませんけれども、法律条件はあったのです、それはあるのです。ですから、ある意味におきましては、精神的なそういう雰囲気と一緒にむしろ大きな拘束を受けて戦闘に協力したということは当然のことなんです。逆に言うならば、国家は戦闘行為について責任をとる、いつ戦争を開始し、いつ終結するということについてあるのですから。
それから、いつも四月になりますと言うことですけれども、墓参のことについて、これは当然早くに対策を講じていただきませんと、いつもどたん場になってからなかなかうまくきまらない。というのは、択捉島についてはまだ実現していないということで、ぜひ実現してもらいたいというのがもと居住していた方々の最大の願いであります。
それを、それはまあそれでほうっておいて、まあ申しわけない、すいません、とにかく審議やってくれと、これじゃ、この次、今後、もし、かりにですよ、有効・無効たな上げで来て、一番最後、どたん場でこれをどうされるつもりですか、今度は。賛否を明らかにして議了すると、こう合意書にありますよね。もう一回採決やり直すんですか。二重採決というのはおかしいですよ。
あるいはどたん場でそういう圧力をかける。最後のゲラまででき上がっているやつを全部変えさせられる。あるいは茨城の県立病院では、これは職員組合とタイアップをして看護婦の募集を行ないました。そうしたら、医師会から猛烈な抗議がきました。これは、医師会からの県あるいは職員組合に対する抗議文書です。こういう形でもって、結局は、あれは組合が独自にやったんだといって県は逃げてしまう。
ところが、どたん場になりまして、どうも日本政府が一方的にこれは言っておったのであって、アメリカは知らないことだ、日本政府のほうからグレープフルーツを十月末までに自由化するのだ、アメリカがそれに対して誠意をもってミカンの解禁州を拡大してくれるだろう、こういう程度のものであったわけですね、実際は。この点をいま一ぺん明らかにしていただきたいのです。
したがって、これらの問題を、私はさあとかけ声だけでなく、もう壁にぶつかって何とか解決をしなければならないどたん場にきていると思うのです。 そこで総理、せっかくいま長い演説をされましたが、その諸点として、たびたび総理は今日の食管の根幹は維持するんだ——食管法は生産者よりも消費者に対しての大きな役割りを果たした、私もそう思うのです。
相変わらず、毎年毎年同じようなコースをたどって、いまストライキのどたん場まで行って、まかり間違えば二時間か三時間ストライキに入って、そこで解決する、芸のないことを毎年やっておると思うのです。これをことし金額回答まで前進されたものなら、さらに一歩前進をして、しかも春闘相場というものが大体出ておる。それらを考えていくのなら、あしたじゅうくらいに解決するのは私は簡単なことだと思うのです。
ルイ王朝時代の行政機構は一つの搾取の機構だったのだろうと思いますが、そういうような搾取機構でなくて、ほんとうに人民のための行政機構をつくらなければならないというどたん場に行ったときに、革命の中心人物である、ミラボーが方向を与えて、そしていまのフランスの民主的な行政機構になった。それがあったればこそ第二次大戦争のときには、それを中心にしてレジスタンス運動をやることができたのじゃないだろうか。
どたん場までいきまして、投げたほうは気がつかないでやったかもわかりませんが、私たちが戦時中に経験したクロルピクリンというのはいわゆるホスゲンのようなものですが、そういうものを投てきしたらどういう結果が起こってくるかということは、投げる者は気がつかなかったかもわかりませんけれども、私どもは戦時中にさんざんこういう毒ガスでは悩まされた経験もあるわけでございまするので、私どもといたしましては、こういう状態
そこで、当面どうしたらいいかということについての私どもの考えは、先ほど、おこがましくも佐藤構想と申し上げましたけれども、私どもは、当面やはり当初予算で——幾らとは申し上げませんけれども、ある程度のパーセンテージを保留しておいて、プールしておいていただければ、勧告のどたん場になって、洗いざらい財源をそこからさがさなければならないということなくして、そこはスムーズにいくんじゃないかということを、当面の対策
しかるに本法案は生命共済的な色彩が非常に強いという点、こういう点を顧みても、また先ほど私がたいして転換には役立たない、こう申しておるのですが、大臣や長官の言うように、やむを得ず転換するのだというような最後のどたん場、こういう状態にあるものに対するものとしては、非常に不利益、不十分である、このように考えるのですが、もっと弾力的な有利な課税を受けるような制度に改めるということは、大蔵省としてはどのようにお
それで、いま申し上げましたような二十五円前後で不満を感じながらも処理をせざるを得ないというどたん場へ追い込まれておるという現況にあるわけでありますが、このことで、いろいろ手続上の問題はございましょうけれども、早急に決定をしていただきたい。私も現地の農民諸君の声を聞きまして、もっともだという感じを持ったことでございます。
きたものだからして、最後のどたん場になって、日本PTAの幹部がその際にお願いしても、それを無視して、いやそれは分裂じゃないのだ、こういう独断で——少なくともこれは独断ですよ。この点についてはどうですか。文部大臣、あなたはどう思いますか、話し合いをしてくれというのに話し合いしてないのです。
その中に食い込んでくるものですから、もうどたん場に理屈を乗り越えた政治的な妥協に終わってしまうというのが従来の例ではなかったかと思います。それだけに、ことしの場合においては、そういうことを含んだ交渉の進め方をやはりやっていただく必要があると思います。そういうふうな御努力をしていただきたいと思いますが、最後にそれだけお尋ねをします。
ところが最後のどたん場になっちゃって、衆参両院とも逓信委員会、従来あった郵政委員会と電気通信委員会を逓信委員会と改称したわけです。そのこと自体が一種の郷愁的なものじゃないかという議論が相当強かった。今あなたがおっしゃったように逓の字は駅逓とか何とか、昔でいえば逓信省の中に船舶、航空に関することもあつて、そういう逓の字を使つた。
高田君の話を聞けば、最後のどたん場へきてがたっとひっくり返っておる。要するに、政府が見ると思ったものが、どうもこんな調子では見そうもないぞというのでひっくり返っておる。これは、大臣、どうでしょう、僕もしつこく言いたくないのだが、いま少し最初の答弁くらいのところまでどうでしょう、断固たる処置も辞せずくらいのところはどうでしょう。
だから仮定ではあるが、そういうどたん場へ来たときに政府は何かお考えがありますか、こういうことなんですよ。これは仮定の話です。三年先か五年先か知りません。しかし何ぼ何でもこれを故意に十年も十五年も放っておいて、それでいつも残高がずうっと残っていくという形、旧債権がいつまでも残っていくということでは、私は決して健全な運営ではないと思う。
それから稻富先生はその最後のどたん場になって大石先生もとにかくドミニカ糖、立研の問題もこれはもうだめだと僕ははっきり宣言されたんです、農林次官室で。
結局国連総会では、最後のどたん場におきまして、西欧先導国とラテン・アメリカ、AAグループとの間に妥協案が成立しまして、国連の某金特別委員会は早期設置を目ざして適当な法制化を縦訂する、すなわち、規約の母体化になるような法制化を検討するということになつて、この趣旨の決議案が上程せられ、日本も賛成しまして、満場一致でこれが通過しております。