1973-03-30 第71回国会 参議院 大蔵委員会 第10号
たとえば、そば一ぱい食べたって、あの中身見たら日本製品は水となまネギぐらいですね。あとはみんな向こうから来ているわけです。そばがいまはとにかく三〇%ぐらい上がっているでしょう。これはこの前もいろいろ問題になったんですけれども。だから、そういう波及効果が一応数字的には出るのだけれども、実際の問題としてそれがさっぱり効果があらわされずに逆の方向にむしろいっている。この原因は一体どこにあると思いますか。
たとえば、そば一ぱい食べたって、あの中身見たら日本製品は水となまネギぐらいですね。あとはみんな向こうから来ているわけです。そばがいまはとにかく三〇%ぐらい上がっているでしょう。これはこの前もいろいろ問題になったんですけれども。だから、そういう波及効果が一応数字的には出るのだけれども、実際の問題としてそれがさっぱり効果があらわされずに逆の方向にむしろいっている。この原因は一体どこにあると思いますか。
単なる友情で、そば一ぱいで買ったものであったかどうか、そこら辺の事情は想像すれば切りがございませんが、本席ですから想像はやめますが、明快に、ただいままで御質問申し上げたことについて御調査の上、書面をもって委員長まで御報告を願いたい、こういうふうにしておきたいと思います。
日本では、そば一ぱいでも配達をさせる。いわゆる必要以上、不必要な個人サービスというものを要求する。その面では日本の社会は非近代的社会かもしれません。こういうわれわれの生活環境、生活慣習というものが、やはり近代化されたタクシー業あるいは自動車といいますか、そういうものに同じような影響力と考え方を持ってきておる。
おれたちにばかり、電気代がかかるから職場でテレビをつけるのもだめだ、給料袋の封筒も新しくつくるようなことではだめだ、お客さんがいても五十円のそば一ぱい出すこともはあ、はあでしょう。そこまで締めておいて、こういうことをやっておったのでは部下職員に対するみせしめにならないですよ。経営方針と違うというのです。だから私は取り上げるのです、年々歳々たにわたって。
物価高の今日、七十円ではそば一ぱい食べられないと思うのですが、もちろん交通違反でもやろうものならば、罰金何千円か何万円か取られる。それはもちろん自己負担というたてまえからすれば、もう少しこういったものについては、金額を私はふやすべきだと思うのです。
そのころの物価をいま振り返ってみますと、三銭で買えたものは、市電の乗車券一区券とうどん一ぱい、そば一ぱい程度でございます。たばこでは、「蝴蝶」が三銭、「ゴールデンバット」が十本入りで一箱四銭、軍隊の酒保で売っております「ほまれ」というたばこ、二十本入りでございますが、これが五銭。ついでに兵隊の給料でありますが、これは当時兵隊の給料は一日十二銭、ちょうど手紙の三通分でございます。
同時に、卑近な例でございますが、昭和十一年は、もとは、もりそば一ぱいと、国鉄の一マイルの運賃が同じだったのです。いまは一キロの運賃が二円七十三銭かと思います。ところが、おそばは五十円です。それで、この勘定は約七百倍になるのです。
准看護婦さんの場合で計算しますと、二十三円から二十八円、そば一ぱい食えないわけです。こういう状態で、四十万人以上の有資格者があっても、みんな老齢なわけではないのだから、こういうところに定着して仕事をしないのはあたりまえだと思います。だから、こういう点をなぜ皆さんでもう少し前向きにお考えにならないのかという点を疑問に思いますが、どうお考えですか。
○有馬(輝)委員 そば一ぱい食ったって五十円、六十円、あるいは百円なんですよ。そばばかり食っていたら、それこそそばより伸びてしまうですよ。村山さん、これで生活できるのですか。カロリーだけは何とかこれでやっていけるのですが、大蔵省の激務に耐えられるのですか。
よく飯のかわりにうどん一ぱいとか、そば一ぱいとかいって食事の代用にすることがありますが、今日の物価ではうどん、そば一ぱいも食べられないことは諸君のよく知られるところであります。一食十八円で人たるものの最低生活が維持できるというような認識では、福祉国家を云々する資格はないものと政治家たるものはお互いに心すべきではなかろうかと思うのであります。
つまり、そば一ぱい、ライスカレー一ぱいくらい、円というもので買える、円がその程度の購買力を持つというようにならなければいかぬと思うので、こういう質問をするわけなんです。一円以下を切り捨てるという今度の法律をお出しになっても、貨幣を軽べつするということは全然ないとおっしゃるのですが、私は客観的に円というものが価値が少いということを言っておる。
十日といたしまして、一晩七十円、これはシナそば一ぱいであるから、シナそば一ぱいにも税金をかける、こういうわけです。夜の夜中に徹夜をして仕事をしております人々には、看護婦あり、警察官あり、鉄道労働者あり、あるいは溶鉱炉の火を消さない産業労働者あり、全くその人々の仕事というものは、他の人をもってかえることもできず、しかも肉体と精神とを摩消して働いておる労働者であります。
さつきも言つたように、それこそそば一ぱい食つたことが状況判断の資料として取入れられるのです。実に何といいますか、どこで何時何分たれと会つたという、今でいえば、予審というものはありませんけれども、その当時ならば予審制度のもとにおいて、治安維持法でいえば、重刑は最高死刑まである。
六大部市の生活で一食当り十八円ではそば一ぱいも食べられません。失業が増加し、生活保護の対象者がますます増加の世相となり、住宅問題の解決は絶望常態にあり、これに何らの充実した施策を行うことなく、民生安定のため社会福祉関係経費については、これを重点的に確保いたしましたと説明される小笠原大蔵大臣初め閣僚諸君の良識を疑うものであります。
○長崎説明員 私は河本委員の御質問から、いかにも国鉄の運賃が高いかの感を受けるのでありますが、たとえばこういう卑近な例を申し上げて、あるいは失礼かとも存じますけれども、昔から国鉄の一人一キロの運賃は、ざるそば一ぱい、あるいはふろ賃、はがき代、これらと大体同じであつたのであります。ところが今日におきましては、現行の運賃は一人一キロ当り八十五銭、はがきは五円でございます。
きのう私は公聽会の席上でちよつと私の意見を申し上げたのですが、勤労者のたとえば夜勤料あるいはまた徹夜料、超過勤務手当、これは非常に零細なものですが、しかも夜勤の場合に、その夜勤料などというものは、今日では支那そば一ぱい食えぬような夜勤料です。そういう夜勤料の収入に対しても税をかけておるのが今日の建前であります。
支那そば一ぱい食えない。超過勤務手当におきましても、これまた実際の額からいえば問題にならぬ。そうして余分のエネルギーを使つて、そのエネルギーを補給するに足りない超過勤務手当をもらつておる状態である。越冬資金におきましてもこれは食えぬからもらう。そして家計は赤字に次ぐに赤字である。そうして越すに越されぬ年末をどうするかという必死の問題にぶつつかつて、初めて政府と囲いながら越冬資金をもらう。