2021-02-25 第204回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第1号
したがいまして、全ての世代というのは今の若い方たちもですけれども、安心して暮らせるということを考えていきませんと、今私は八十歳ですから、私はもらえる立場の方なんですけれども、これをもらうだけもらっておいて借金はせがれたちというのはちょいとなかなか理解が得にくいところだと思いますし、頂戴する我々の方もなかなかいま一つというところがありますので、いろいろな意識を変換していただかなきゃいかぬことだと思います
したがいまして、全ての世代というのは今の若い方たちもですけれども、安心して暮らせるということを考えていきませんと、今私は八十歳ですから、私はもらえる立場の方なんですけれども、これをもらうだけもらっておいて借金はせがれたちというのはちょいとなかなか理解が得にくいところだと思いますし、頂戴する我々の方もなかなかいま一つというところがありますので、いろいろな意識を変換していただかなきゃいかぬことだと思います
私、東京の下町生まれで、居酒屋のせがれでございます。両親は磯幸という居酒屋を四十年以上やっておりまして、私自身も元気な魚屋さんという魚屋と飲み屋をやっているんですが、生まれてから常に食に携わってきた身として、この食の安全、安心というものを守っていきたいと考えております。
本日はこの事業承継円滑化についての法律案なんですけれども、私も居酒屋のせがれとして生まれ育ちまして、年を取っていく父親の背中を見て、この後継者問題というか、この事業承継の当事者であることに気付かされます。 事業承継といえば、元気があれば何でもできるということで、アントニオ猪木さんより元気ですかを事業承継しているわけですけれども、まさしくこの法案審議にはうってつけかと思っております。
居酒屋のせがれとして育ち、私も西日暮里で元気な魚屋さんという魚屋兼飲み屋をやっております。この職に携わる人間として、ちょっとこの海洋プラスチック問題というのはやはり黙っていられないということであります。 あと、僕は格闘家だったんですが、減量とかもあって、何を食べてどう体が変わっていくかというのを体感してきています。
ただ、そもそも土地を貸す、貸さないというのは、これこそ皆さんの方がよく御存じだと思いますが、どこの誰だそいつは、あそこに住んでいる何々さんのせがれか、だったら貸してやる、そいつのことを知らぬから貸さない、こんな話は多々ある。まあ、気持ちはよくわかるんですけれども。
せがれさんが東京にいて、その分どうするんだみたいな感じになっちゃったわけですけれども。 これも先ほどと同じで、これからどんどん高齢化とかが進んでいっている中で、こういう代がわりとか地代の円滑な支払いというのも、先ほどの上流と下流の、こっちのバージョンの話ですけれども、機構が責任を持って、支払いということも責任を持つのであれば、この機構が活性化すればするほど、その業務はふえてくると思うんです。
例えば京都なんか、フロント、つまり帳場、私も旅館のせがれなもので、帳場なんですよね。受け付けのとき、許可をとるときは帳場をつくるんですよ。次に行くでしょう。そうしたら、もうあれへんねんね。何になっているかというと、げた箱になっているんですよ。ひどいのになると、段ボールをやってやっている。こんなことが次から次へと起こっている。そうしたら、地元からそういう告発があった、どうすると思いますか。
私は、ずっとやってきた中で、せがれは別に、自分の好きなことをやれということで、特に何も言っていなくて、余り手伝いもさせなかった、若干はしたんですけれども、そんな中で、法人経営になって、私がやっていまして、ある日突然、東京の会社をやめて酪農をやる、そう言ってきたんですね。私は何も言っていないんです。本当に正直にそうなんですけれども、それで、六年前のあの東北の震災のときに入りました。
息子さんはどうされていますかと聞いたら、せがれは町に稼ぎに出ている、こういう言い方でした。自然を相手に山で働くのがまさに働きであり、そして、生活をするために町で働くのが稼ぎ、こういう言い方に、自然を相手に働いていく第一次産業従事者としての誇りを感じたものでございました。それは、今風に言えば、なりわいと営みといった表現にもなるのかもしれません。
というのも、私も農家のせがれでありますけれども、現状、農家の認識というものは、特に農地に対するプライドというものは非常に大きいものがあると思います。おやじから受け継いだ土地を、また、おじいちゃん、おやじから受け継いできた先祖伝来のこの土地を自分の代で駄目にするというものはいけないことだみたいな、そういった意識というものは根底にあるものなんだというふうに私は思います。
実際のところ、そういうことを言いながらも、農家は一方で、自分の息子にはこんなつらい思いはさせたくないなんて言いながら、公務員にしようとしたり様々な企業に入れようとしたりして、私の場合は国会議員になってしまいましたけれども、そういうふうな、私自身も、農家のせがれとしておまえは将来専業で農業をやるんだというふうに育てられた覚えがありません、正直に言って。そういうものなんだと思います。
そこは、そういう人を入れてでも活性化しようというマインドがあるのか、もうそんな人は来なくていい、自分の代で楽しい町だった、せがれも帰ってこなくていい、後は朽ち行くのみであるというふうに思うか、そこの決めの問題の部分がかなりあるんだろうと思っているのですね。 そこへ、このまま朽ちるままでやむを得ないのだというところに、無理やり何かするわけにはいきません。
第四章、自衛官のせがれの外交・安全保障論。集団的自衛権を認める時期。 野田氏、いざというときは、集団的自衛権の行使に相当することもやらざるを得ないことは現実に起き得るわけです。ですから、原則としては、やはり認めるべきだと思います。認めた上で、濫用されないように、歯止めを掛ける手段をどのように用意しておくべきかという議論が大切になってくるわけです。
僕なんかは長野県の農村で生まれ育ち、百姓の真面目なせがれなので、農薬ですよ、有機水銀。今、ネオニコチノイド系農薬が大問題になっている。これはこの後の環境委員会の一般質疑で質問させていただいて、ちゃんとやっていただこうと思っていますけれども、有機水銀系の農薬が一世を風靡したというふうになっている。だから、水銀というのは、化合物によっては、メチル水銀が典型的ですけれども、それが非常に体に害がある。
カリモフという人は、基本的に、初めて私が行った閣僚だということで、大統領とも会うことになったのがもう十何年前ですけれども、子供のときに日本人捕虜収容所に毎週末母親に連れていかれた、ヤギの乳を届けに行った、母親が私に言ったせりふは毎回一つとして違ったことはない、同じことしか言わなかった、せがれ御覧、あの日本人の兵隊さんを、ロシアの兵隊さんが見ていなくても働く、おまえも大きくなったら人が見ていなくてでも
したがいまして、私は、これが二十年たったら価値がゼロになるというんだったら、せがれがためた金はまた全部うちをつくらないかぬというのではなくて、やはり中古住宅というものの価値を正式に査定してもらえるようなきちんとした機関というものがありさえすれば、武正さんのあのうち、おやじは死ぬんだから、あのうちをちょっと売ってやという話で、そのうちを幾らで評価してくれるか。
債務者じゃないという点だけはきちんと正確に分けておいていただかないと、じいちゃんたちが払ってくれた分の受け取りは若い人が受け取る、簡単に言えばそういうことですから、一概に被害者、被害者みたいな顔を私の息子がするから、ばかを言うんじゃない、おまえ、ちょっとよく勉強せいと言って、ついこの間もせがれを説教したばかりなのでこの話を今申し上げるんですが。
これは間違いなく、うちのせがれなんかに言って、あんたみたいな若い人はもっとちゃんと働いて、もう少し働いてちゃんと稼ぐべきだとかいうことは、うちの息子あたりでも、やはり、自分たちが払う世代になるということを考えればそう言うんですよ。私はそれは当たり前だと思っていますから。
ただ、官僚も、私自身官僚のせがれですが、みんなが極悪非道の大悪人かといえば、そんなことはないのでありまして、官僚出身の方々も大勢いらっしゃるわけでありますが、一人一人はすごく国家のためを思い、そしてまた見識のある、そういう人たちと思います。防衛省でもそうでした、農水省でもそうでした。今いるところもそうです。
李白は裕福なうちのせがれで、そんなことはわからないのに、自分みずから勉強してというか、気持ちになって、同じような詩を詠んだということで、李白の方がすぐれていると結論が出た、そういう文書を読んだことがある。私はもっともだと思います。 さっき、石破さんが冒頭言われたとおり、それは別に生まれ育ちだけじゃないんです。その後どれだけ研さんをしてそういうことをするか。