2021-05-14 第204回国会 衆議院 環境委員会 第10号
先ほどの牧原さんの質問にもございましたが、海に行くと、もう本当にプラスチックのごみだらけということで、このまま放置するわけにはいかないと我々も考えております。 そこで、立憲としても、対案をもう既に二年ぐらい前から考えておりまして、どのようにプラスチックをなくしていく、少なくしていくのがいいのかという観点から、我々、対案を作ってまいりました。
先ほどの牧原さんの質問にもございましたが、海に行くと、もう本当にプラスチックのごみだらけということで、このまま放置するわけにはいかないと我々も考えております。 そこで、立憲としても、対案をもう既に二年ぐらい前から考えておりまして、どのようにプラスチックをなくしていく、少なくしていくのがいいのかという観点から、我々、対案を作ってまいりました。
五メートルの高さのごみが、昔は海水浴ができた海岸だと、そんな様子は全く見えないところ、ごみだらけでございました。そのときの社会はどうかというと、余りまだ気候変動問題や温暖化ガス削減に世間の注目が集まっていない時期であったなと思います。
この運河、プラスチックのごみだらけでありまして、異臭も放って、ひどいところは水面も見えないぐらい、ごみだらけでありました。 タイの環境大臣から実は相談されたのは、スリーRに乗ることができないプラスチックのごみ、これはどうやって処理したらいいのかというふうに聞かれました。
私もかつてアメリカに短期ですが住んでいたことがありますけれども、そのときに、ある町は非常に町がきれいでサービスもいい、しかし他方は、道路は穴ぼこだらけだし、ごみだらけだと。しかし、周りの人に聞いてみると、後者の方がいいと言う人もいると。なぜか。税金が非常に安いからと。
ごみだらけになっております。町村に一人でとても足りるとは私は思いません。そこに十分なだけの環境省からの職員が行っておるのか。あるいは、ほかの役所から応援を受けてマンパワーは足りているのか。やはり小さな市町村にとりまして、私も過疎地の出身でありますが、中央官庁とすぐ話のできる職員がいるというのは非常に心強いものでありますので、そういう体制が果たして本当にできているのか。
戸別訪問をして独居老人のうちなんかを訪問しますと、もうごみだらけですよね。片づけることができなくなるんです。そして、おふろとかお台所の火を消すのを忘れたり、危なくてしようがない。そういう方々に入っていただく住宅をソフトつきで、見回りつきで整備していただく、本当にありがたいなということでございます。
富士山のてっぺんはごみだらけ、エベレストのごみはほとんど日本チームだとある人が言っておられました。 そうすると、本当に物理的、景観的に美しいのか美しくないのか。それは、やはり我々自身、恥ずかしさを誇りにかえるためにきれいにしなければいけないと思います。 しかし、総理がおっしゃっているのは、美しいというのは、そういう風景だけではなくて、心の問題として、美しい。
だから、法施行後余りたっていないのでということで、そういう甘い姿勢ではもう本当にごみだらけになっちゃいますよね、日本は。そして、有害なごみの上、この間どなたか言っておられましたけれども、ごみの山の上に寝泊まりをするようになるわけですから、そういう事態を避けるためにもEPRが必要なんですね。そういうことで、きちっとしていただきたいというふうに思います。 具体的な問題について伺います。
実際に乗った、ウィンブルドンの方に行った電車だったんですけれども、電車の中はごみだらけで、これは日本のJRの民営化とはえらい違うなと。非常に事故も多い。上下分離によって責任の明確化が非常に後退している、こういったような実態もございました。
しかし、以前はと申しますと、学年二百四十人中百人以上が中退すると、そういう学校でありまして、学校の中はもうごみだらけで、父兄の方々、先生方、学生も、ごみをけりながら廊下を歩いていくと。壁はもう落書きだらけでありまして、本当に午後になると学校全体がしいんとなるそうなんです。というのは、生徒がみんな塀を乗り越えて出ていってしまうという実態があったそうなんですけれども。
町はごみだらけです。ですけれども、そういうバリアは本当に皆さんがよく徹底しておりまして、私たち快く毎日を、バスに乗るのが楽しく国際連合まで通いました。 実際問題として、これは人間のモラルじゃないかと思います。その辺につきまして、なお一層御理解をいただく、そのために私ども協会はこれから一歩進んで共生社会そのものを作るために頑張るつもりでございます。よろしくお願いいたします。
私どもの家庭でも、これはここにあるのがうちだからと思って何となくやっておりますと、家じゅうごみだらけになります。ある日、他人の目で見ますと、果たしてこれはここに置かなきゃいけないかというと、随分むだなものが出てまいります。
古い床の教室に入るとごみだらけなんです。やっぱり子供たちは、新しいものはきれいにするけれども、古いものについては汚してもいいんだというそういう心理が働いてしまう。校庭に出ると、今の古い体育館のすぐ向こうにループ橋が見えるわけです。
先月の十月二十四日、名古屋で行われました地球環境シンポジウム、一般席で聞いておりましたが、ある企業人の方が人間は地球のがんである、こういう大胆な御意見というか、御発想と申しますか、確かに地球の側から見れば、ほじくり返すわ、ごみだらけにするわ、不愉快な温室効果ガスで呼吸困難にするわで人間の所業は迷惑千万な存在と言えると思います。
この量を見まして、そしてこの増加していくありさま、それから残余容量などを見ていますと、残余容量は産業廃棄物では一億六千七百万トン、残余年数は一・六年分しかないという、こういう数字を見ておりますと、何かもうそれこそ日本はごみだらけになってしまうのではないか、こういう調子で伸び率で増加していきますと本当に大変なことになるのではないかと心配されるわけですけれども、これまでの政府の対応と申しますか、どんな計算
ごみのことをもっとやりたいのですけれども、こればかりやっているとごみだらけになってしまいますから、この辺でごみはやめて次に移ります。 委員長、これは大臣に数字だけ見ていただきたいので、ちょっとお渡ししてよろしいですか。
それで機内がごみだらけとなったり、あるいはまた、こみの缶に羽とエンジンがそれこそ生えただけの飛行機の漫画が出たり、いろいろしているようであります。こういう中で米国の空の自由化に乱気流が起こった。規制が再強化されつつある。アメリカのデトロイト事故で百五十名近い死亡事故を起こした。
そういうように、ごみだらけ、ほこりだらけのところが学校なのです。なぜそういうところでわざわざやらなければならないのか、そういうことも含めて、抜本的な見直しをやるというふうにお答えをいただきたいと思いますが、大臣、いかがですか。
かつて、今から十年ぐらい前ニューヨークの町はごみだらけの町だったことは御承知のとおり。今行くと空き缶がないようになっておることも御承知のとおり。行かれた人はそれを見て、息をのんで、はあ変わったなあと思われるはずです。私は去年の五月に行きましたが、その前に行ったときと比べて雲泥の差があった。
大都市の中の都市は十年ほっておけば実際ごみだらけになってしまうわけです。大変な問題です。ですから、少し時間が悠長過ぎる。こんなことでは私はいかぬのじゃないかと思うのですね。 いまお話を聞いておりますと、廃棄物の処分というものはもう市町村の固有事務だというような見解ですが、もう時代がそういう時代ではなくなってきていると思うのです。