2009-02-20 第171回国会 衆議院 予算委員会 第17号
というふうに書いてある文章が、果たしてそのままこういう前提に立って物事を考えていっていいのか、それとも、こんなものはもうくず箱に投げ捨てて、改めて今、二月十六日の速報や、あるいは昨日の、二月十九日の月例経済報告に出てきておる数字を前提に考えなければならないのかということをお伺いしているんです。いかがですか。
というふうに書いてある文章が、果たしてそのままこういう前提に立って物事を考えていっていいのか、それとも、こんなものはもうくず箱に投げ捨てて、改めて今、二月十六日の速報や、あるいは昨日の、二月十九日の月例経済報告に出てきておる数字を前提に考えなければならないのかということをお伺いしているんです。いかがですか。
現在までに推定されております原因というのは幾つか挙がっておりますけれども、作業中に脱落したナトリウム、あるいは廃棄物にくっつきました、付着したナトリウムがカートンボックス、建屋の中にありますカートンボックスというくず箱でございますが、そのカートンボックスの中にまざって入る、混入したのではないかということが実験結果等で推定されるところでございますが、まだ原因究明の段階でございます。
下手したら届いているやつも、そんなもの見る必要ないということでくず箱にでも捨てたんじゃないですか、二十という数字は。と思いたくなるぐらいの非常に不誠意な文部省の対応じゃないかと思う。 例えばこの中には、私の、京都ですけれども、立命館大学などは全学部の教授会全部反対決議をして文部省に送っているはずです。
そこで、きょうのテーマであります内需拡大ということですが、例えば家庭の主婦が考える立場において、私なども海外に行って帰ってきますと、家の中がくず箱のように感ずるわけですね、物が多くて。価値のある物はないわけですけれども。片や諸外国の御家庭なりそういうものをお邪魔してみると、物が少ないのに驚くわけなんですね。
都市公園法施行令第四条の、たとえばピクニック場、野営場、それから舟遊場、魚つり場あるいは植物園、温室、水族館、図書館、陳列館、記念碑あるいは詰所、車庫、掲示板、くず箱、こういうのは補助対象から除外されております。もっとたくさんあるのですけれども、時間がありませんから一部だけ申し上げました。
いろいろと先生は医療供給者の側から、現代の医学、特に最後の、われわれがあまり認識なかった難病医学、これと保険との関係で、私らも医療福祉基本法をあわせて検討しなければ、健保なんというのは、むしろ健保財政の問題はそれの一こまなんだということを長年主張してきたのも先生も御案内のとおりでございますが、たとえば今回の健保を一日も早く実現してほしいという松井公述人の、薬がくず箱に入っておるのがよく目に入ると、こうおっしゃることを
その点も、機械のこわれないように、ほかにくず箱を置きまして異物はこちらへ捨ててもらうようにと幾ら申しましても、現実にやはり便器の中に異物がる。そうすると、フィルターも、それから消毒のほうの機械も、強いナイロンの糸でもって引っかかってこわれてしまうという事態が実はたくさんございます。
私のところで実行しておりますものを申し上げますと、まず国鉄の主要駅に公徳箱——私の協会も金がございませんので、スポンサー等を入れておりますが、公徳箱と称して、くず箱を駅に置きまして、それに「きれいにしましょう、みんなの駅舎」ということを書いております。それから吸いがら入れを作りまして、主要駅に置いて、そうしてみんなにこれを利用してもらう。
一月一日といったらまあくず箱がわりに議員のボックスの中にでも入れていけ、どうせこの諸君は勉強しないでなまけ者だから、量でこなしておけば義理が済む、これはこういう形の配付の種類でないかと私は疑わざるを得ない。まずこの「国立公園」でありますが、百三十一号というのが何日発行でございますか、昭和三十五年の十月一日発行の品物、そして、しかも百三十三号はないのです。
百八十機、練習機が二十機、百八十機のラストが出るときは、くず箱へ入るというような格好になりませんか。今私新聞を見ましたら、F86という飛行機がありますね。これに二分間よけい飛ぶために補助ロケットをつけるといいましたか、補助タンクですか、このために五千万円もかけなければ、それだけ効果が上がらぬというわけです。
これはどんなしろうと考えで判断をいたしましても、くず箱の中から宝石を拾った話とは全然わけが違うのであります。昭和二十六年の二千五百万円の医療器具事件、二十七年の事務職員が数字を書き間違えたと称する七千三百八十八台の野戦用ベッド事件、二十八年の鉄かぶと事件、二十九年の軍服事件、憲法では認められておらない自衛隊という名の軍隊が、国民に対して遠慮しがちでやっていてさえ、現状御承知の通りであります。
のみならず、かつて前々内閣において策定した経済復興計画というものは、くず箱の中に入れられてしまつておる。こういう状態では決して独立への努力、独立への関心があるとはわれわれは考えられない。口で独立だ、復興だと言てつておりながら経済的措置をやつておらなければ、これはまつたくお念仏にすぎないのであります。その根本的な食糧自給に対する努力が全然見当らない。