2013-11-26 第185回国会 参議院 国土交通委員会 第8号
で、それを持ってきてくれて、お金を出したらお釣りがあって、どうも変だったんですけれども、個人のがまぐち出してお釣りくれたんです。しばらくすると、その方が来て、切符拝見するからといって入口で言って、みんなの切符見に来たんですよね。つまり、車掌さんだったわけです。
で、それを持ってきてくれて、お金を出したらお釣りがあって、どうも変だったんですけれども、個人のがまぐち出してお釣りくれたんです。しばらくすると、その方が来て、切符拝見するからといって入口で言って、みんなの切符見に来たんですよね。つまり、車掌さんだったわけです。
それからもう一つは、個人が自分のがまぐちをあけて払うお金ですね。 では、日本のNGOに今大分お金が出ていますけれども、考えてみますと、日本のNGOに政府がお金を出すということを決めたのは、一九九一年の湾岸戦争のときに一兆四千億円のお金を出したにもかかわらず、クウェートがアメリカのコマーシャルペーパーに出した三十カ国に日本の名前がなかった。
○深谷国務大臣 この種のカードは、私も、がまぐちにいろいろ銀行の方は持っておりますけれども、この裏の指紋というのはちょっと……(河村(た)委員「裏はちょっと別で、前だけで結構です」と呼ぶ)そうですか。いろいろな種類のカードというのは持っていますから、これに関しては、韓国字で特に読めませんので格別な思いはありません。この種のものはいろいろありますから。
教育改革に至っては、火事場のがまぐち、口ばっかり、政策はゼロ。その間、学校現場はどんどん荒れてしまう。 一体、この総理に日本改革の器量と資質があるのだろうか。内閣の支持率の超低空飛行は、国民の不安と不信を実によく物語っているのであります。 そこで伺いますが、中間報告から最終報告に極めて大きな落差がある。
だから、これは各省の縄張りの問題だとか、どうしても大蔵省ががまぐちの中へお金入れて配るという。私は四十三年の議員ですが、四十四年のときにあの税金が国民固有の財源であると大蔵大臣の福田赴夫さんも言うのに一年かかったです、私はそればっかり地方行政委員会でやって。だから、なかなか大蔵省というのはガードがかたいです。
いや、米は米、コーヒーはコーヒーというけれども、それは確かに品物は違うんだけれども、金を出すのは一つのがまぐちでしょう。同じ人ですよ。だから、品物は違っても同じ人が出すんだから、コーヒーに対して三百円払うのは余りにも簡単であって、米は七十円だ。それが高いということは、おかしいのじゃないかなという感じがするわけですね。
それから、レポートの方でも、米とコーヒーと違ったといっても、それはやはり出すがまぐちは一緒なんだよ。コーヒーに払う金だって米に払う金だって一緒なんだ。品物は違うんだ。コーヒーが三百円だよ、米は三食食ったって七、八十円じゃないか、こう言っているのです。だから、それを高いなんということを言うこと自体がおかしいのだ。そうでしょう。そういうことも皆さん注意してもらいたいのだよ。
ただ、ちょっと表現がどうかと思いますが、石炭と鉄のやりとりというのは、丸裸の者ががまぐちに金の入ってない者に物を買えと言うようなことなんですね。でございますから、これが一番ネックになっておる。
両方ともがまぐちを握って指し示せば、これはもう最高の話だ。これをひとつどうですか。
○小林(政)委員 中小企業の売り上げが大変減っているという最悪の状態、この原因というのは、労働者の実質賃金が物価の上昇に追いつかないで、事実伸び悩んでいる、物価上昇をはるかに下回っている、こういう現状が一つにはあると思いますし、また勤労世帯はそういう状態の中でがまぐちをかたく閉めてしまって購買力そのものが落ちている、このことが主要な原因ではないかというふうに私は見ておりますけれども、そこへ加えて一連
大蔵省がそういうことを言うならわかるのだ、がまぐちを持っているのだから。農林省がそれを言ったらまずいのじゃないですか。物をつくる農民を考えなければいけない。農民というものは一体どういうふうに考えられているか、それはどうですか。これは政務次官だな。
これでは三方一両損を幾らやれやれと言ったって、がまぐちの口は大きな口があいているんだからどんどん出ていくんだから、国鉄の財政再建ができないじゃないですか。 この投資計画について大臣は今後どういうふうに考えていくか。
この国公の共済組合は、いわば国家公務員の一つの社会保障制度であり、そういう点からすると、大蔵省が所管をしているということに、若干私どもとしては、何か腑に落ちないような感じがするわけでありまして、まあ大蔵省は国家全体のがまぐちを握っているところである。そういう点から、各省庁のそれぞれの政策決定について事前にチェックする、あるいは財政面からその行政をチェックする機能を果たしているわけであります。
えないまでも、不況の状況の中でも、とかく景気の底支えをずっと押し上げてきていたといわれております個人消費の伸びですね、これが、春闘での賃金抑制策というものが非常に強調される一方、また先ほどからも問題になっている公共料金がメジロ押し的に次々と引き上げが予想されているという、非常な先行きの不安といいますか、こういうところにも原因があると思いますけれども、ほんとうに生活必需物資の買い物をする以外は、なかなかがまぐちがかたくなって
要するにお金のほうを優先して、がまぐちが先行して、命を守る医療制度がそれに追従していく、いわば本末転倒であると私は思うのですが、これらについてひとつぜひお考えをいただきたいと思うのですが、私どもが実際に患者を見ている場合には、特に若い人たちが死に直面いたしますと、家族の者たちが、お金は幾らかかってもいいのだ、ぜひなおしてほしい、助けてくれ、健康保険で使えない薬でも、どんな高い薬でも使ってくれといって
○羽生田委員 いま保険局長の答弁の中にやはり、保険料でまかなっておる医療だからと言って、やはりがまぐちが、お金のほうが優先してしまっておる。医療がお金、がまぐちに左右されている。やはりそういう観念をどうしても捨てていただかないと、生命尊重、命優先という政治じゃないのです。これはぜひ考え直していただきたいと思います。
○森勝治君 それはどのがまぐちから出すかというお話でしょう。私のほうは三百万を出した。その根拠は何ぞと聞いているんです。先ほどの話ですと、私がことあげいたしましたいわゆる賞じゅつ金制度という、そういう名前を、他のところではそういう表現を用いていますが、それになぞらったと、こういうことでしょう。しかし、これは法的な規制がないわけですね。ですからいつですか、昭和四十二年ですね。
だが、しかし、これは取るほうの理屈でありまして、出すほうのがまぐちは一つであります。勤労者に対する所得課税が応能原則に立たなければならないことはもはや常識でありまして、応益原則でよいという理論的根拠は薄弱かつあいまいであるといわねばなりません。むしろ、いま重要なことは、生計費には課税しないというこの単純なる原則を実行することでなければならないのであります。
非常にがまぐちがかた過ぎて、せっかく生まれ出ようとするそういう薄給の人たちの、社会に対する手が伸びないということを、私はしみじみ体験をいたしまして、せっかく芽を出しかけているものがそこで枯らされてしまうんじゃないか。
そうなると、財源が云々ということによりも、何を一体補正要因として求めるかというときに、あるいは災害関係が幾ら幾らであるとかいうところから始まりまして、あるいはことしの場合などは公債発行を幾らか減らしていこうじゃないかというふうなことなどを含めまして、さて最終的に公務員の給与とこうなると、がまぐちの一番最後の帳じりになって、こういう補正要因で考えてみたら金がなくなったと言えば言えるかもしれない。
そうなってくると、さっき申し上げるように、出す側はみんな同じがまぐちから出るのです。だから、個々の企業がどういう理由であったにしろ、なかなか世間というものは簡単に、そうですかということにはならぬのじゃないかと思いますし、しかも、今日のように物価の基調が非常に不安定な状態においては、一段とそういうことが騒がれてもしかたがないというように私は思うのです。