1978-02-17 第84回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号
私の方からも直ちにお見舞等に参上するのが当然であったというふうに反省しておるところでございます。
私の方からも直ちにお見舞等に参上するのが当然であったというふうに反省しておるところでございます。
実は、ただいま総裁は現地のほうへ参りまして、犠牲者の弔問、お見舞等に当たっておりまするので、私かわりまして御報告させていただく次第でございます。 事故が起こりましたのは昨五月三日の二十一時三十七分ころのことでございました。場所は常磐線の三河島駅の構内でございます。
二十七日の十時には、お乗りになつた方々の名前を乗船名簿によつて調べまして、御住所を調べ、わかりました情報を御遺族の方、あるいは傷病、生存の方々の家族全員に、一応電報を発してお知らせ申し上げております、 弔慰、お見舞等につきましては、青函管理局長名義のお見舞として一万円、私の総裁の名義の御供物もささげてございます。
ことに今のお話のように法律問題にしてどうするというようなことではなくて、やはりいろいろ振合いを見ましてのお見舞等で円満に話合いをつけたいと思います。
しかしながらこれらの方々が特に災害の場合の罹災者に対するお見舞あるいは各種の御奨励等のためになされる賜与の価格は、一箇年間に二百五十万円近くに上ると見込まれるのでありまして、これらはたとえば災害に対しまするお見舞等のごとく、その都度実際の必要に当面いたしまして、国会の議決をふることが事実上困難である場合も多く、またその目的も定まつておりまするので、この際例年のごとくあらかじめ価格を限り、一括御議決をいただきたいと
行つたついででありますから病中でもありますしお見舞等を述べて、しばらく雜談等もありましたけれども、両者の間の話合いはこれで盡きるのであります。ただいま申し上げましたようなわけで山崎さんの飜意はとうてい見込みはないと考えまして、自分は山崎邸を辞去して帰つて來たようなわけであります。