2020-03-10 第201回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号
少子化対策、これずっとやられてきたんですけれども、本当にいろんなメニュー、もうこれ以上ないよというぐらいいろんなメニューが行われてきましたけれども、お子様ランチ、いろんなメニューがあるけれども量が少なくておなかがいっぱいにならないということで、私はなかなか効果を上げてこなかったのではないかなというふうに思っております。
少子化対策、これずっとやられてきたんですけれども、本当にいろんなメニュー、もうこれ以上ないよというぐらいいろんなメニューが行われてきましたけれども、お子様ランチ、いろんなメニューがあるけれども量が少なくておなかがいっぱいにならないということで、私はなかなか効果を上げてこなかったのではないかなというふうに思っております。
しかし、元々、子育て支援策というのはもう厚生労働省で相当いろんなことをやっていて、でもお子様ランチだと、これ随分前から言われているんですよ。もう何でもいろんなメニューがそろっているんだけれども、一つ一つが少量過ぎておなかがいっぱいにならない、満足できない。戦力の逐次投入というか、日本軍がかつて敗戦したようにね。
お子様ランチというふうに言われております。いろいろメニューは載っているけれども、少しずつでおなかがいっぱいにならない。つまり、効果が出ないというふうに言われております。子ども手当、ばらまきだ、ばらまきだと自民党はさんざん批判しましたけれども、子ども手当満額支給してもまだまだ足りないんですよ。
日本の少子化対策は、これまでお子様ランチというふうに言われてきました、お子様ランチ。どういう意味でしょうか。ハンバーグやエビフライやスパゲッティ、それからポテトサラダにチキンライス、それからプリン、ヤクルト、何か分からないんですけれども、いろいろメニューが乗っている。いろいろメニューが乗っているんですけれども、一つ一つが少な過ぎて、余りにも少な過ぎて幾ら食べてもおなかいっぱいにならない。
お子様ランチもある。あらゆるものが子供用があるんですが、高齢者用というのはないんですね。本当に高齢者が楽しみと誇りを持って生きる、それだけの需要ができるような仕組みを、商品開発もしなきゃいけない。 私もこのペーパーの一番最後に書きましたが、年齢観の変更。私が経済企画庁長官のときに出しました八十歳まで働くことを選べる社会、これには、例えば職場の事務機械の改造から必要です。
お子様ランチじゃないんですから、何でも法律に盛り込んでいいものじゃないんです。 男女共同参画は、少子化対策にも資するものであり、国家を挙げて取り組んでいかなければならない喫緊の課題という認識もいただいております。党利党略のみで、対案という対立軸にこだわるのではなく、党派を超え、性差を超えて取り組んでいく必要があると思いませんか。 法制度の整備と社会の意識改革は車の両輪です。
あるいは、レストランのお子様ランチ。欧米のお子様ランチと日本のお子様ランチは全く違います。小さなことだと思われるでしょうけれども、これが全然違うんですね。日本のお子様ランチというのは、添加物のプリンがどんと乗っている。添加物だらけですよ。何の愛情もない。本当に、欧米のお子様ランチと日本のお子様ランチがどう違うか。本当に、神は細部に宿るですよ。
そのほかにも、私の手元の専門誌によれば、例えば校長室の机の上にお子様ランチの皿の上に乗せる小さい日の丸を掲げる、校長一人で君が代を斉唱する、早朝に日の丸を掲げ、児童生徒、父兄が登校する前におろすなど、こっけいな、いや日本人として悲しむべき信じがたい事例が幾つも列挙されております。 少数とはいいながらこのような事例があることは、文部省関係者の方々も御承知のことと存じます。
もう一つ、免税点だけ引き上げても、消費税がある以上は、今までかからなかったお子様ランチから全部お金を取られてしまうことになる。幾ら免税点を上げても消費税だけは消えないのですね。そういう点で根本論議をしなきゃならぬ。だから消費税論議は今、税制問題が両方出ておるのだから、そのときに議論し合えばいいじゃないかということで、実は抜いて修正になったわけですね。
その日、お赤飯に子ども達の好きなお子様ランチにケーキ。でも誰一人として「おめでとう」とは言いにきてくれなかったのです。 すぐ電話したところ「お母さんが行ったらあかんやて」と寂しくこたえていました…。お子様ランチの飾りについている小さな旗、揚枝に小さく切った半紙をノリづけして色をぬる、親子でその日のためにいっしょに作ったのに…。
次の質問に移りますが、この劇団員の方たちというのは、相手が子供だからお子様ランチ的な芝居でいいということではないのですね、見ていただいたらわかると思うのですけれども。子供は非常に感性がすぐれています、大人より。ですからいいかげんなものだったら見抜いて集中しないわけですね。非常に芸術性の高いものをつくらなければならない。