1985-06-11 第102回国会 参議院 大蔵委員会 第16号
それで我々のおやじどもは買っています。したがって、インフレというものの絶望的な感じが我々にはないと思うんです。物心ついたときは、国債を抱えていましたけれどもインフレの中で消えてしまいまして、したがって、ややもすると我々の世代は調整インフレ待望論者になる嫌いがありはしないか。一番端的な例として、おっしゃいました老後問題についての年金の実質下落、そういう問題も体験していないわけです。
それで我々のおやじどもは買っています。したがって、インフレというものの絶望的な感じが我々にはないと思うんです。物心ついたときは、国債を抱えていましたけれどもインフレの中で消えてしまいまして、したがって、ややもすると我々の世代は調整インフレ待望論者になる嫌いがありはしないか。一番端的な例として、おっしゃいました老後問題についての年金の実質下落、そういう問題も体験していないわけです。
大体我々のおやじどもは戦時公債を買って、あれがパアになった悲劇を承知しておりますが、我々は、あったことは知っておりますが、買ったことがございませんものですから、あの悲劇を必ずしも知らないところに我々の世代が調整インフレなどということにとかくなじみやすいことがありはしないかといって我と我が身に毎日言い聞かしておると、こういうことでございます。
私がいささか、おやじどもなどと言いましたが、私どもの先輩は確かに買った経験を持っております。すなわちそのことは、インフレーションによる通貨価値の下落による、その実質価値が著しく下落するという問題でございます。
われわれから見ると、いまの若い者はあれで大丈夫なのかということがありますけれども、逆に、おやじどもよくもあれできたなというように見える面もあるわけでありまして、自分の価値観の内にあるのだというだけの、いわば見下しているような感じでは済まないような気がする。
たとえば、どこの政党にもそういう党内事情はあるとおっしゃいますけれども、こういう場合に、とれが正しいのだという考え方を持っておる議院運営委員会の自民党の委員なり、労働部門を担当されておるそういう正しい感覚を持っておる人々の意見というものをどこまでも通すのが、正しい行き方であって、どうもわけのわからないがんこなおやじどもの言うことにおろおろするような、そのために苦心の作をした、ところが、その苦心というものは