1969-04-14 第61回国会 参議院 本会議 第18号
もうけ仕事に狂奔するおとなたちが寄ってたかって子供たちの大切な命を奪いつつあるとしたならば、まことにゆゆしい問題と言わなければなりません。一刻も放置してはおけないと思います。また、羽田空港、伊丹空港、横田基地の周辺では、航空機の騒音によって授業がしばしば中断され、学童の注意力散漫、音に対する異常な反応などの事実が種々の調査で指摘されているのでございます。
もうけ仕事に狂奔するおとなたちが寄ってたかって子供たちの大切な命を奪いつつあるとしたならば、まことにゆゆしい問題と言わなければなりません。一刻も放置してはおけないと思います。また、羽田空港、伊丹空港、横田基地の周辺では、航空機の騒音によって授業がしばしば中断され、学童の注意力散漫、音に対する異常な反応などの事実が種々の調査で指摘されているのでございます。
二月十四日の国連世界青年白書を見ましても、若い世代がおとなたちの社会的指導能力に全く信頼を失っていることがあげられている。自分たちが直接社会に参画しなければだめだ、こういう意気込みによって、その最も先鋭部隊として学生が立ち上がっているのだ。ローマ法王も、そういう趣旨のことを言っておるのであります。私は、現内閣におきましては、その根本原因を考えられて、これに対する対処策を考えなければならぬと思う。
いま必要なことは、たとえ学生たちに行き過ぎや暴走があっても、いたずらにおそれたり非難したりするのではなく、これらのおとなたちが、彼らの突きつけた問いを自分自身の問いとして、人類の文化のあるべき姿を模索しながら、若者たちとともに新しい世界の創造に実践的に参加することだ」、したがって、学生の暴力的な行動というのには、非常な深い背景と、これに対する世界の苦悩があるという、こういうことについて、公安委員長はどういう
○坂田国務大臣 これは仰せのとおりで、おとなたちのほうが、言うこととなすこととをやはり一致させていく態度を示すということが根本かと実は思うわけでございます。よく態度で示そうよとかなんとかいう歌があるわけなんですけれども、われわれの育ったときには、何といいますか、書きものや文字や、そういうことで表現をした。ラブレターもそういうふうに書いたわけです。
○有島委員 私の問題提起いたしましたところは、本来的な理想と論理性ということに立ち戻って、あらゆるおとなたちの理想、おとなたちの論理、現在の若者たちの理想、論理、そこにいろんな段階があると思いますが、それを総点検してもう一ぺん調べ直すということが大切なんじゃないだろうか、その点はいかがでしょうか。
子供たちだけではない、おとなたちも同じ気持ちだと思います。この人々は、愛知さん、B52の撤去をしてほしいと思っておると私は思いますが、あなたはどうお感じですか。
○有島委員 ただいま大臣がお答えになりました一番最後の問題でございますけれども、おとなたちの頭の切りかえということが、これは非常に大問題でありますけれども、これがいまの青少年とおとなたちとの間の大きなみぞをつくっているのじゃないか。
○政府委員(渥美節夫君) 心身障害者に関しまするいろいろな施策が行なわれておるわけでございまするが、やはりいま問題点となっておりますのは、そういった障害を持っておる子供なり、おとなたちの健康と福祉と、それから社会復帰あるいは雇用促進、教育、こういうふうないろんな観点からの施策の総合的な連関性といいますか、協調性といいますか、こういった点については、各省それぞれ、まあ端的なことばで申し上げますと、ややばらばらの
しかし、その子供が巻き添えになっておとなたちの花を持つような形で歓迎にかり出される。その中でおとなたちと同じように並べ立てられて話をされているところに問題があると言っているのです。この点を言っているのですよ。あなたは、文部省はこういうような行為が全国各地に次から次に出てくるようになっても、それでも教育的立場からいってかまわないとおっしゃるのですか、齋藤さん。
しかし、おとなたちあるいは不良環境等によって少年が非行を犯した場合には、おとなや不良な環境を少年法または青少年条例等によりまして規制していくという二通りございます。ですから、売春防止法の改正は、あくまでも少年法と同じような形で、社会の犠牲者である者をさらに法律特に刑罰の犠牲者にしてはならないというふうに思いますので、その線を守っていきたいと思います。
おとなたちの思慮浅き青少年批判は、まさに天に向かってつばきするのたぐいであります。われわれは、まず、どちらを先に正すべきでありましょうか。
トルコぶろなどは青少年は行きませんけれども、それでもやはりおとなたちが行っていると、中には行っている人たちもたくさんいる。行っていると、やはり一度行けば二度行きたくなって、お金も――いろんな犯罪の温床になるというようなことで、このトルコぶろをこのままにしておくのは、私は、非常な国辱だと思っております。
非常に複雑な要素を持っておりますので、青少年の非行問題を解決するにあたっては、この複雑ないろんな諸現象とか、あるいは環境とかいうものについて十分科学的な究明をして、これに対する的確な対策を講じないというと、青少年の問題は解決ができない、このように思うわけでございますが、そういう問題が一つありますと同時に、私はやはり子供の立場から、環境の整備という問題にもっと日本のいわゆるおとなたち、それぞれの立場にある
おとなたちが酔っておりまして、そしておもしろくないからお互い悪いものごっこみたいなことをやろうじゃないかという話し合いから、最初はそういう冗談めいたことを言っておりましたが、しまいには自分たちがおとなでありながら強盗の気分を身につけてしまって、ほんとうの強盗のしぐさをして、短刀を出しておばさんをいじめておる、そういう場面を少年たちが見たら、おとなでさえも悪ものごっこをするのだからということになりませんか
おとなたちも何かの方法でよく反省をして、一緒になってあたたかく導いてやるというような配慮のもとにこれを実施していただきたいなと思っております。 以上でございます。
この流行におくれをとってはならぬとばかりにりっぱなおとなたちが叙勲を急ぐありさまは、童心に返ったほほえましい姿とひやかしてばかりはおれないのであります。(拍手) 日本国憲法第七条に定められた栄典の制度は、あくまでも現行憲法の平和と民主主義の精神にのっとったものでなければならないはずであります。そのためには、広く国民世論を徴しつつ、法律によって制定されるべきものであることは言うを待ちません。
だから自分たちが——これは日赤にそういう会があるのだそうですが、日赤に集まる人たちはみんな肢体不自由のおとなたちです。その人たちが自分のからだのことを思って、そうして目の見えない子供たちのために自分たちが犠牲的に手で打って、ある一つの読みものを点字でもって表現して、そしてそれを子供たちに配付するのだ。非常な労力を要するものですが、数が非常に少ないのです。
陰に陽におとなたちが背景で指導しているわけでございます。もちろんその指導している男も、大した男じゃないので、大きな博徒とかテキ屋の団体あるいはぐれん隊の相当なものに比べますと、その周辺のチンピラではございますけれども、そういうものが子供を導いているわけなんです。そういう点を非常に恐れるあけでございます。
大学を視察したときにも、学生さんたちが、おとなたちは紛争しているけれども、早い解決ができるようにとそういう期待を持って勉強をしておったわけです。ところがこれを見ていきますというと、学生寮ですか、下宿そのものも土地や何か建物も売り払われてしまって、そしてほかの人が入っている。勉強をしているにも非常に不安な状態だ。そうすると、勉強する条件というものをくずしているというのはだれかといえば、明白なんです。
そして一般の方たちにお願いしたいことは、子供たちが一生懸命横断歩道を渡っているときに、三十メートル先以内は必ず横断歩道を渡っていただきたいと思うのですけれども、ほんとうに横断歩道のすぐそばを、おとなたちがそしらぬ顔で横断歩道でないところを渡っていく。子供たちは、ほんとうに自分たちがりっぱなことをしているのに、おとなたちはどうしてああいうことをするんだろうと思うでしょう。