2021-05-26 第204回国会 衆議院 文部科学委員会 第16号
若者は、スポーツ大会、体育祭など、おじさん、おばさんのGoToトラベルはオーケーで、若者は一年間様々なことを犠牲にしてきた。おじいちゃん、おばあちゃんはカラオケで楽しんでクラスターを起こしているが、若者は、給食や食堂では、警備員や先生に監視され、黙食をして、学校ではおしゃべりもしていない。 別に若者は重症化しませんから、医療に負担もかけていないわけですね。そういう状況がある。
若者は、スポーツ大会、体育祭など、おじさん、おばさんのGoToトラベルはオーケーで、若者は一年間様々なことを犠牲にしてきた。おじいちゃん、おばあちゃんはカラオケで楽しんでクラスターを起こしているが、若者は、給食や食堂では、警備員や先生に監視され、黙食をして、学校ではおしゃべりもしていない。 別に若者は重症化しませんから、医療に負担もかけていないわけですね。そういう状況がある。
ですけれども、裁判になりますと、入管は、いや、タイにおばあちゃんがいるじゃないか、タイにおじさん、おばさんがいるじゃないか、そういう言葉も通じない、会ったこともない人も、これも家族関係ということで、裁判では帰っても大丈夫だという理由にされてしまいます。
小学校などでは総合的学習で近所のおじさん、おばさんのお話聞いたりするのから始まって、中学生や高校生になると、もう将来の職業を選択する上で、いろんな業種の人たちに学校に来ていただいて取組をしている学校など、数多く私も承知していますので、これは大いに進めていったらどうかなと思いますし、それをきっかけに教員資格を持った方が戻ってきていただけるんだったら、これまた一石二鳥ではないかというふうに思います。
しかし、現状はむしろ核家族化によって本当にお世話する人が夫婦しか残っていないという、昔であれば家族全員が手伝ってくれる、あるいは近所のおじさん、おばさんもいる、あるいは近所の方も手伝ってくれるとか……
ですから、育児の負担に耐えられないという方は、二子目に進まない最も大きな理由ではなかろうかというように思っていますから、それを、かつての大家族時代の時代というのは、やはり、おじいさん、おばあさんというか、両親もいる、おじさん、おばさんも近所にいる、それから、おじさん、おばさんの数も、手伝ってくれる方々も近所にいて多い、それからまた御近所の方もみんなバックアップしてくれるというようなものがありましたから
実際、最終的には裁判所の判断に委ねられるというふうに考えておりますが、養育実績のある親族、おじいちゃん、おばあちゃん、あるいはおじさん、おばさん、そういった者が選ばれることが多くなるのではないかと考えております。
債務者や祖父母、場合によったらおじさん、おばさんとか親戚が駆けつけてきてということもありますので、そうすると、それが数名いる場合は、場合によっては物理的に抵抗されるおそれもありますので、その人数以上の人員を裁判所がそろえていく必要はあります。できたら多い方がいいということになると思います。
そういうのも一つの例でしょうけれども、もっと広く保証というのがあるわけで、その今十八歳、十九歳を取り巻く、先輩もいる、悪い友人もいる、中には親族ででも、おじさん、おばさんでもいる。そういう人たちが来て、頼むよ、保証してくれと言って保証しちゃったら、その保証はもう有効ですから、少なくとも詐欺とか強迫とか、ほかのことは要件があれば別ですけれども、きちんとそれを承諾して保証した以上、それは有効ですから。
そこがやはり肝の部分だと思いますし、発言についても、今相当不快な話が続きましたけれども、それ以前の、例えばお坊ちゃん、お嬢ちゃん、おじさん、おばさんなどと人格を認めないような呼び方をする、これ自体も、人事院によればセクシュアルハラスメントの中に入るということになっています。
自分は支援を受ける側に落ちてしまった、片や支援をしてくれる人というので、これまで長年引きこもってきたこと自体が無に等しくなってしまうので、できれば素人感覚で、その辺のおじさん、おばさんかお兄さん、お姉さんの感覚、それから兄弟のように、もう一度人対人という、支援する側と支援される側ではなくて、人間対人間の関係で少し自分を認めることができるようにとか、それを育める空間が必要。
今、私たちの近隣で、自分たちの子供が近所のおじさん、おばさん、そして年配の方と触れる機会というのは実際何人いるんでしょうか。そんな思いで、今回、参考人の先生方の意見を聞かせていただきました。
私どももそういう、そのもう少し前の世代の会社を経営しておりますので、随分楽になっておるな、近頃、と思って見ることはあるんですが、今おっしゃいましたように、これが、じゃ、町の商店街のおじさん、おばさんのところまで全部普及しているかというと、なかなかさようなわけにはいきませんので、そこらのところもちょっと考えないと、これ罰則規定が付いてきますので、なかなか簡単にはいかないところかなと思いますので、いま少々時間
そして、祖父母とか近隣の住民、地域のおじさん、おばさんなどが一緒に子育てをする、その中で、子育てに迷ったときにアドバイスをもらうとか悩みを聞いてもらうとか、そういったような子育ての支援とか助言等を得ることがなかなか難しくなってきている。これが一つあると思うんです。
私は、こういった事態に今陥っている中で、この質問の趣旨で申し上げましたとおり、日本国の名誉を守り、そして日本国の我々の先人、祖父母またはおじさん、おばさん、こういった方々の名誉、尊厳を守り、そして未来永劫にわたって日本の子供たちが、こういった世界じゅうにつくられる、いわれもなき、こういう言い方によって、そこに行って頭を下げなきゃいけない、丸くならなきゃいけない、日本人であることが胸を張れない、こういった
私たちのお父さんや、祖父や祖母や、そのまたひいおじいさんや、兄や弟、おじさん、おばさん、お母さん、おばあさん、その人たちの名誉の問題なんですよ。 さて、こういったことを、特にアメリカで中心に行われているということに対して、外務省はどういう対応をなさってこられたんでしょうか。
そういう、扶養家族、扶養義務者がどうだこうだという問題も出てくるし、貯金も持っているんじゃないだろうかとか、これは、はっきり言って、役所の担当者よりも、実はお隣のおじさん、おばさんが実態はよくわかっているわけです。私は四十年働いて掛けてきた、お隣はどうも保護でいただいているらしい、そういう生活を見ていると何か納得がいかない、こういうお声もあるんです。
これももう全国と同じように沖縄も進んできておりまして、それを離島に行くことによって、離島のおじさん、おばさんたちは今でも子供たちをメーゴーサー、げんこつ、スーパーメーゴーサーってやったりしますけれども、げんこつをしたりしながら叱ります。この叱られることに喜びを感じるというぐらいの現象が、全国から来る子供たちの中でも、沖縄の子供たちの中でも生まれているんです。
しかし、今の社会の中で欠けてきているのは、斜めの関係と定義しているんですけれども、ちょっと年上のお兄さん、お姉さんだとか、年はちょっとしか離れていないわけじゃなくても、知らないおじさん、おばさんとの関係性、地域の中で声を掛け合うような関係性が非常に欠けているんじゃないかと。
つまり、親との関係ですとかクラブ活動の上下というのは縦の関係で、同級生など友達は横の関係で、じゃ、近所のおじさん、おばさんとそんなに接してきたかというと、そうでもないわけですよ。パン屋さんとかよく行くお店の人はいるにしてもですよ、そこから何か、職業選択とか人生について何か聞いたり参考になったかといったら、そういうことではないんですね。
そういう検証を踏まえながら、私は手厚い、この里親、おじさん、おばさんとなったから大丈夫って、そんなことはないと思うんですよ。親族だって、今まで一緒の屋根の下に住んでいなかったら、やはりこだわりもあるし、どうしていいかわからない、種々さまざまな問題を抱えていると思います。
それから、具体的な表れとしては、子供にかかわる我々にとっても、実親による子育てを支援する立場にある、子育てを支援するんだという立場にある、承知の上なんですけれども、日常生活上の簡単なことは現に養育している者、里親だとか、おじさん、おばさんも入るんでしょう、施設の先生だとか、そういう人にかなりの部分委ねていただけないでしょうかということです。
昔はその地域におせっかいを焼くおじさん、おばさんがいて、若い親が悩んでいるときにもいろんなそのサポートをしたわけですよね。ところが、今はそういう人がどんどん少なくなって、全て親だけでこなしていかないといけない。そういう状況の中で追い詰められていくということがあると思います。
この親族里親制度というのは、両親を亡くした子供たちが、おじいちゃん、おばあちゃん、またおじさん、おばさんなど三親等の親族が里親になりますと生活費などが支給されるというものなんです。パネルにありますように、一歳から十八歳までであれば一人当たり月額四万七千六百八十円支給されます。