2020-11-02 第203回国会 衆議院 予算委員会 第2号
しかし、他方で、エッセンシャルワーカーとかあるいは高齢者とか、おじいちゃまやおばあちゃまは、食べログとかあるいはぐるなびとかいったって、もうわけわからないわけです。制度が使えない人たちにとっては、一体それは何なんですかということになっているわけね、制度として。
しかし、他方で、エッセンシャルワーカーとかあるいは高齢者とか、おじいちゃまやおばあちゃまは、食べログとかあるいはぐるなびとかいったって、もうわけわからないわけです。制度が使えない人たちにとっては、一体それは何なんですかということになっているわけね、制度として。
また、私は今、和田家の長男でありますので、祖母が三年前に亡くなったときに、祖母が持っていた、手元に持っていた戸籍なんかを見て、ああ、これ、こういうようなおじいちゃんがいておばあちゃんがいてとかというようなことを見る中で、もう一度これ、しっかりとそうした形で残っているのかちょっとたどってみたいというようなことで、いろいろやってみたりもしたんですけれども。
次にですけれども、やはり安心して子育てができる環境というのが、まさに子育て世代の親の親ですね、いわゆる子供から見るとおじいちゃんとかおばあちゃんがやはりいるということが、これは子供の環境にとってもいいわけですし、まさに子育て世代の親にとってもいざというときに頼ることができる存在である。こういった方が、こういった親が同居ですとか近居をする施策を政府は打ってきております。
ところが、おじいちゃんでもおばあちゃんでもいいです、相談は無料だけれども後で調査をしてお金がかかるかもしれませんよ、こう伝えられると、それはちょっと待ってほしいというような話になってくるのではないかなというふうに考えてみたくもなるわけであります。
ですので、今小さな仮設住宅や借り上げに家族がばらばらになって住んでいる、福島県の外に、またおじいちゃまやおばあちゃまが介護施設に行っている、そのばらばらな状況を元いたように、同じ家に住めるような、その程度のものを再取得できるような価額を補償していただきたいというのが避難している方々の要望です。 総合的に考えていくというのであれば、総合的なプランをお示しいただきたいと思いますが、いかがですか。
しかし、七千七百万あるんですが、これはほかの銀行とかから借りたんじゃなくて、おじいちゃんかおばあちゃんかわかりませんが、そういう人が家庭の中でしっかり蓄積して、一億五千万ということになりますね。七千七百万の借金ですが一億五千万の金融資産を持っています。日本のそれまでの財政を家計に例えると、大体そんな形であります。
決しておじいちゃんやおばあちゃんにめんこめんこされたからといって農家の後継者になるとは限らないわけでありまして、私はそうでもないんですが、きっと家内の頑張る姿を見て、お父さん、農家をやるよと言ってくれるから、まだほっとしている部分もあるんですが、これはなったらなったで大変なことであって、そのアフターケアというか、後継者教育というのは、今、非常に難しい局面というか大事な場面に来ているのではないかなと思
一方では、どんな立派なうちに住んでいても、おじいちゃんとおばあちゃんが二人きりでいたり、またおじいちゃんがひとりぼっちでいると、何か寂しさ、うちは立派だけれども中身は寂しそうだなと、そんな思いをして、そんなときに、これは高齢者住宅だけじゃなくて、二十一世紀の日本のいろんな意味でもう一回、教育的な面からしてもいろんな思うところあるんですけれども、家族制度というのはもう一回ある意味では見直さなきゃいけないところまで
その地域共同体の中には、おじいちゃんもいればおばあちゃんもいれば、そして出戻りのおばちゃんもいれば、もういろんな人がいると。その中で子供が自然に育っていくという環境があったと思います。 そして、お父さんとお母さんは、例えば農村の場合だったりすると二人とも労働力だったと思います。農作業に一生懸命精を出すわけですね。
その体験学習が終わった後、食堂に一緒に行って御飯を食べるわけですけれども、そのおじいちゃまとおばあちゃまを囲んで、みんなで配膳をしてあげて、動かないでいいですよ、きょうはいっぱい教えてもらいましたから僕たちが今度はサービスしますと、こういうふうな人間関係ができてくるわけです。
これからおじいちやん、おばあちゃんに親孝行したい人があれば、木づくりの一階建ての家に住まわせてあげること、親不孝したい人があれば、そんなことを口にする人はいませんけれども、仮に心ひそかにそういう計画をされる人があるとすれば、おじいちゃん、おばあちゃんをコンクリートのマンションの一番上に住まわせてあげること、これがこれからの親不孝のやり方だ、こういう結論が出ています。
せんだって厚生大臣にお伺いしたとき、厚生大臣も、我々子供のころには、おうちに帰ったらおじいちゃんかおばあちゃんかおばさんか、だれかがいたと。今の子供は子供なりに大変だと思います。帰ってもだれもいないというおうちがたくさんございます。
それ以外には、今先生からお話のあったような、おじいちゃんとおばあちゃんがやっているお店に並んでいる商品でもそういう表示がされているという状況をつくることはできませんので、そういう意味では、メーカーさんが商品のパッケージに義務表示として行うという状況をつくるためには、よほどレベルの高い検査体制を、しかも安定的につくらなきゃならないというふうに思います。
まして介護型有料老人ホームなどは前払いで、ぼんとおじいちゃまなりおばあちゃまなりの財産を聖マリアに納めちゃっていますと、もうそれは戻ってこないわ、要介護のおじいちゃまだけ戻ってくると大変だということになっちゃうわけで、介護専用ナーシングというものは原理的に存在することが危険をはらんでいる。これは暴走する原子炉と同じようなものだというふうに私は思っております。
私どもよくこんな話を聞くのですが、都会の子供たちが田舎へ帰ってトイレを使用するわけですが、おじいちやんのところのトイレは暗くて恐ろしい、こういう話をよく聞くわけです。また、私ども地方へ出まして一番要望の強いのは、下水道を早くつくってほしい、必要不可欠だ、こうおっしゃるのは七二・七%、あった方がいい二三・九%、まさに九六・六%の方々が下水道設置を求められておるのであります。
そうして、やはり子供たちが進んであるいは孫たちが進んでおじいちやんやおばあちやんのところに帰ってくれる環境をつくってやる、これが大事なことではないかということでこの問題が進められておるわけでありますが、自治省もそういった点につきまして、これらの過疎地域においてこの集落排水が推進されていく、この財源についての裏打ちをしていこうということで、これから起債対策、さらに起債の償還についても二分の一程度はひとつ
おじいちやん、おばあちゃんがやっておられる。もうこの際土地を売りたい。ところが、その計画からちょっと外れておるわけですね。 それで農水省、農政部等もいわゆる交換分譲の形でそれをお互いが、いわゆるテクノポリスの工業団地等の予定地域とちょっと離れたところと、一軒一軒の農家の事情はそれぞれ違います。
ですから、大臣が口を酸っぱくされて、いや、やがて私のおじいちやんも八十歳だ、九十歳だ、ぴんぴんしているという話をされても説得力がないのですよ。
そして、この子が丈夫に幸せに育ちますように名前を幾日も幾日も字引を引いたり、参考の文献をあさったり、おじいちやん、おばあちゃんに相談したりして名前を選びますよね。その親が仮に電話をよこしまして、田舎のおじいちゃんに、おじいちゃんのお名前のこの字をおかりして、あした届けに行ってきますと言われたときのおじいちゃん、おばあちゃんの喜びはどんなでしょう。
私の孫は今年二年でありますが、その子供が、おじいちやん学校を変りたいと言う、なぜかと言うと、癩病患者の子供と言うのだそうです。でもおじいちやん、変つても黒髪校から移つたと言つたならやはり同じでしようね、嘘を言つてなおりましようへと、こう申します。現在の子供心ですらも、そういうような状態になつております。