1972-04-04 第68回国会 参議院 社会労働委員会 第6号
そういうものと、また借りたほうが、向こうではその業者の親をアンマーというふうな方言で呼んでおりますけれども、そういう人たちに対して、おかあさんたちに借りたものは返さなければいけないのだというふうな、非常に純情な見方と申しましょうか、そういうものが非常に根強いわけでございます。ですから、それと沖繩という一つの島の特徴としまして、同族意識といいましょうか、そういうものが非常に強いところでございます。
そういうものと、また借りたほうが、向こうではその業者の親をアンマーというふうな方言で呼んでおりますけれども、そういう人たちに対して、おかあさんたちに借りたものは返さなければいけないのだというふうな、非常に純情な見方と申しましょうか、そういうものが非常に根強いわけでございます。ですから、それと沖繩という一つの島の特徴としまして、同族意識といいましょうか、そういうものが非常に強いところでございます。
そして、そのおかあさんたちの中のごく限られた人たちが、いま病気の治療のために病院に併設された学校の中で楽しく勉強することができるようになって喜んでいます。しかし、それはもうほんの少しなことはおわかりのとおりであります。 私は、この前の質問のときに、幾つかの項目について申し上げました。
幼維園に通っている子供が保育所に行っている子供をつかまえて、「君は保育園に行っているから遊んでやらないよ」と、こういうことを言ったと、そしてそのまた若いおかあさんたちが、「ここは貧乏人のいるところですよ」と、こういう話をしていることをしばしば聞いたと、涙を流しながらの報告であったと、こういうことを私は報告として聞いたわけでございますね。
それから、それをおかあさんたちを通じて外国を雰囲気の中で理解していくと申しますか、あるいは、その中に外国のやさしいことばが書いてあるに違いない、絵だけ見れば大体物語は察せられるに違いないというようなことでもって、子供は、これは何、これは何と言うに違いない。
六人から九人、子持ちのおかあさんたちが圧倒的に多い。その中でも母子家庭が非常に多いのです。そうして、収入はいま七十五ドルぐらい平均とっている。女にとって比較的いい職場ということになっているわけです。しかし、問題はいろいろ人権の面からものすごい問題がたくさんあります。その辺は触れないとしましても、この人たちが今度軍労働者が間接雇用に切りかえられる際に全然手離されてしまう。
それから、その過保護をするおかあさんたち、これは社会教育の対象になるわけですよ。きょうこの予算の要求書を見ましたら、社会教育局長もおいでになりますが、婦人団体の人たちに助成金が出ますね。六万円を計上してあります。それはきっと一団体に——一万四千何団体かあるわけですね。もちろん私はもっと数が多いと思うのですよ。
ですから、遺族の方々には、同じ戦争遂行の目的でやったのだから、準軍属として法の適用を受けさせてもらいたい、そして加えて、子供が不安だからそれに付き添っていたおかあさんたち、おねえさんたち、そういう付添人に対してもその処遇をしていただきたいというのが要望でございます。 それから、遺児の数は大体、沖繩本島では四万四、五千の数にのぼっております。
ですから、遺族の方々には、同じ戦争遂行の目的でやったのだから、準軍属として法の適用を受けさせてもらいたい、そして加えて、子供が不安だからそれに付き添っていたおかあさんたち、おねえさんたち、そういう付添人に対してもその処遇をしていただきたいというのが要望でございます。 それから、遺児の数は大体、沖繩本島では四万四、五千の数にのぼっております。
ですから、遺族の方々には、同じ戦争遂行の目的でやったのだから、準軍属として法の適用を受けさせてもらいたい、そして加えて、子供が不安だからそれに付き添っていたおかあさんたち、おねえさんたち、そういう付添人に対してもその処遇をしていただきたいというのが要望でございます。 それから、遺児の数は大体、沖繩本島では四万四、五千の数にのぼっております。
したがって、国の制度によって認められる保育所といたしましては、最小限度そういう条件を備えておることが前提になるわけでございまして、現在いま御指摘のような形の保育施設があるということは残念ながら事実でございまして、私どもも結局これは公的な認可された保育所が数が足りないために、そこへ預けることができないおかあさんたちの実際的な御要求によって生じておるわけでございまして、基本的には、ですから現在行なっております
こういったようなことを考えてみますと、これはどうしても若いおかあさんたちの教育というものをもう少しやらないことにはほんとうに幼稚園でいろいろやってみても効果のあがらない面がある、そうしてまた、親子の関係といったようなものもこの子供が大きくなったときに、ぼくは要らない子供だった、失敗してできたのだ、失敗してできたぼくという存在は一体何だろうかということを考えた場合に、私はその親子関係はどうなるのだろうか
そこで、こういうおかあさんたちは、非常に家庭婦人が働くようになった、そういうことに伴って、いわゆる保育に欠ける幼児がかなり多くなったということが考えられるわけでございますけれども、大体現在どのくらい保育に欠ける子供がおりますのか、お伺いをいたしたいと思うんです。
そういうことになりますと、ほんとうに働くおかあさんたちのために役に立つ保育所になっていない、こういうこともお考えをいただきたいわけでございます。
○山高しげり君 まあ五百万円でこれだけの調査と、まあでき上がった結果をやはり期待をしたいと思うわけでございますが、ことに先ほど申し上げました大阪府の社会福祉協議会の調査の数字を見ましても、やはり賠償問題の未解決ということが一番多うございまして、私どもにも被害者である母子家庭のおかあさんたちからの訴えが一番強いのでございますから、二つの調査に関しまして、私どもも大いに期待をかけたいと思います。
かけ込み寺といいますと、それは婦人の一時保護ではないかと専門家はお片づけになるでしょうけれど、安心して飛び込んでいかれるところが一カ所でもあるということは、今日やはり非常に追い詰められております若いおかあさんたちの何か明るい一つのよりどころになるのではなかったか、ああいう予算がたいへん簡単に削られたように思いますけれど、そうも簡単ではなかったのでございましょうか、もう削られた予算に対して何か申すことは
○国務大臣(橋本登美三郎君) ちょうど私が官房長官の時代でしたが、総理大臣の代理で心身障害児大会というのが久保講堂で開かれまして、そのときに口のきけない人、足の動かない人を背負っておかあさんたちが参りまして、それを拝見しまして、私は役所でつくりました総理大臣の祝辞を述べるようななまやさしい気持ちじゃなかった。
いろいろな会の中で、この五項目ぐらいで交通のことをやっていては、交通地獄だ、交通戦争だ、これは無理だというのが全国のおかあさんたち全部の御意見です。
こうして考えてまいりますと、現在認可された公私立の保育所に子供を預けることができる人たちというのは非常に恵まれた人たちだ、選び抜かれた人たちだ、こういう羨望の気持ちさえ、ここに子供を預けているおかあさんたちは抱いているわけです。その場合どうしてもここが問題になるのは、なぜそうした差別を受けなければならないか。
先にどうこうしてくれというのではなくて、現実にいま子供を預けて働きに出ていかなければならないおかあさんたちが、切実なこういう叫びをしているわけでございます。東京都でさえわずかではあるけれども、形ばかりではあるけれどもこれだけの助成をしてくれているんじゃないか。これはおかあさんたちが悪いわけじゃないのです。この無認可保育所で働いている保母さんが悪いわけじゃないのです。
日々の新聞を見ながら、全国の奥さん、おかあさんたちは、毎日自分の家族や赤ちゃんに何を食べさせ、何を飲ましたらよいのかと、気の狂いそうないら立たしさを感じ続けていることと思い合わせまして、この勧告は、あらためて私どもに責任の重大さを感じさせるものがあります。総理は、この勧告をまともに受けとめられ、御自身その先頭に立って改善、実行に当たられる決意ありやいなや、御所信を承りたいと存じます。
わからないけれども、一体子供を漁師にしたほうがいいのか、サラリーマンにしたほうがいいのかというのは、年ごろの子供を持つおかあさんたちの一番切実な問題だろうと思うのです。これから将来われわれのところがどうなっていくのだということをやはりはっきりやっておかなくてはいかぬ。これが私はほんとうの意味における国土開発の問題だろうと思うのです。
一体こういう訴えを起こしたおかあさんたちに対しては、私たちはどういうふうに答えたらいいんでしょうか。私は、きょうの質問をする気になったのはこのおかあさんの訴えがあって、聞けば聞くほど、目も見えなくなった、運動神経もだめだ、大小便も出しっぱなしだ、こういうふうになった子供を入院さして、しかもおとうさんが定年退職だ。
そのときのお話、それからまたたくさんの民主団体の方、おかあさんたちと集まって、そしてぜひやってほしいと言ったときなどは、こうおっしゃっているのです。それは日本の場合はロスアンゼルスと違います、気象条件も違うのだからそう心配なさることはありませんと、こういうことで、いま課長さんがおっしゃったように、ほんとうに危険を感じてという積極的な姿勢は全く見られなかったわけです。