1975-11-11 第76回国会 衆議院 決算委員会 第1号
そこで間もなく改築が完了いたしますのは、先ほどからいろいろ寮についてお挙げになりましたが、東北大学の六つの寮のうち三寮でございます。そしてなお、そのほかのものにつきまして、今後東北大学の御意向も十分尊重して、計画的に改築を進めたいと考えております。
そこで間もなく改築が完了いたしますのは、先ほどからいろいろ寮についてお挙げになりましたが、東北大学の六つの寮のうち三寮でございます。そしてなお、そのほかのものにつきまして、今後東北大学の御意向も十分尊重して、計画的に改築を進めたいと考えております。
われわれといたしましては、一般の大きな会社などが、相当程度労務管理と申しますか、福祉施設の完備という点から、いろいろ寮もしくは社員住宅を進めておることは非常に好ましいことでありまするが、むしろ、そういうような措置のできない中小企業あるいは勤労者、サラリーマン、こういうことが一応の対象になっておるのでございまして、それは公団による住宅と、金融公庫による庶民住宅、それから公営に基く低額所得者に対する措置
障子とか窓ガラスなんか、ほんとうにぼろぼろで、私たちもいろいろ寮の対抗競技なんかやるという場合には、とつても苦労して清掃しています。 それから信書の開封なんですけれども、私は開封されたことはないのですが、お手紙を渡されなかつたのです。二十八年の十月でしたか、父から帰省するようにという手紙を、私の方と人事の方に二通出したわけです。
今事業所に対しましての、例えば託兒所を作らせるとかいろいろ寮などを十分やらせるとか、又そういう事業所の寮や託兒所に対してはどれだけの援助や奬励をいたしておるか、その点の御答弁が拔けておるので、改めて只今私が申しました労働省が十分に未亡人の、この勤労者に対しての援助というものをやる意思があるかどうか、もう少し力強い答弁をして貰わんければ承服ができない。
時期をはつきり覚えておりませんが、渡邊君が來ておりまして、電工がいろいろ寮を買つておるという話を聞きましたから、それには日光というのは進駐軍が好きで、どうせ金を借りるのじやないから電工に賣つたらどうかという話が出まして、では丹羽君行つて來て呉れ、で私が日野原の所に行つて茂木さんの話をした。