1985-03-08 第102回国会 衆議院 予算委員会第七分科会 第2号
そういう老人クラブなんかでその苦心談をお話しすると、これはわしらも何かひとつ役に立たせてもらわなければいかぬといって、その場で千円ずつカンパをしていただいたり、本当に孫のあめ代にと思っていらっしゃったんでしょうが、それほどまでして市民の端々に至るまで懸命な努力をしているのです。 だけれども、大臣、考えてみてください。
そういう老人クラブなんかでその苦心談をお話しすると、これはわしらも何かひとつ役に立たせてもらわなければいかぬといって、その場で千円ずつカンパをしていただいたり、本当に孫のあめ代にと思っていらっしゃったんでしょうが、それほどまでして市民の端々に至るまで懸命な努力をしているのです。 だけれども、大臣、考えてみてください。
しかし、今日の物価上昇の中において老齢福祉年金の一万六千五百円というのは、まあ孫のあめ代ぐらいにはなると思いますが、生活ということから考えるとほど遠いものがある、こういうことがあるんですから、私はやはりどうしても国民が安心するためのナショナルミニマムというか、社会保障の基準、水準ということが必要だと考えますが、以上の点について各大臣の御所見を承りたいと思います。
生活保護の皆さんが一年に三百円もらって、これで貧乏人の子だくさんを抑制せよと言っても、抑制するどころか、生まれている子供のあめ代にしかならない。しかも全般として予算が約六百四十万八十円削られているという、これは大蔵省の役人諸君のこの家族計画に対する認識というのが全くないことを意味しておるし、それから公衆衛生局も私はやはり無責任だと思う。
ついでにもう一つの援護年金の方は生活保障論というか、最低生活を保障するものでいくのか、それともたばこ銭、あめ代論といいますか、そういう額は幾らでもいいのだ、たばこ銭かあめ代をやっておればいいのだということにするのか、それとも老人の生活設計の足しにするものとしてやるのか。これは援護年金と拠出年金とは幾分違うと思いますが、それぞれあなた方がおきめになった基準を御説明願いたいと思います。
今回の政府案は非常に多くの制限をつけて、その対象者の数を極度に減らして、七十才以上の老人約二百五十万ほどにあめ代にすぎないものを提供する、これは無拠出年金のことですけれども、そういうことを書いておりました。これは社会福祉の考え方ではなくて、救貧の考えか、でなければ各地方にこのごろはやっております敬老年金なんて申しまして、八十八才くらいになりました老人に金一封を与える。
子供のあめ代がないまでしぼりとつて、娘まで売らなければならないような陰惨なみじめな農村にしておる。これが━━吉田政府の政策ではありませんか。この政府によつてやられる米の統制撤廃なるものが何ら農民を利益するものではないということは、全国の農民団体が今度の米の統制撤廃に反対しておることで明らかではないか。