2008-03-24 第169回国会 衆議院 総務委員会 第10号
お隣の佐賀県でございますので、時々寮歌祭とかでもお目にかかっていたのかなと思います。
お隣の佐賀県でございますので、時々寮歌祭とかでもお目にかかっていたのかなと思います。
私は、少年時代、あそこにおいでになります佐々木先生とともに「すすき円の月を呼ぶ」という歌を、寮歌でありますが、歌ってまいりました。あの「円」という字を「まどか」で読めるという皆さんがどうもこのごろ少ないのではないか。いやあ、いいことだなと。私見で申しわけありませんが、そう思った次第でありまして、何よりでございました。
かつて私も旧制の高等学校で三年間教育されましたけれども、あの三年間というのは、今でも同窓会をやりますともう七十、八十のじいさんがみんな大勢来て、そして昔の青春を思い出して、寮歌を歌ったり、あるいは変な格好をして寮歌祭をやったりしています。
そのかわり日本の困っていることは、一高の寮歌じゃありませんが、「友の憂いに吾は泣き」ですよ。そういう意味で、日本の困っているときはアメリカも一緒になって悩んでくれよということを申し上げました。そういう気持ちでこれからやはり日米の経済協力というのをやっていかなきゃならない、こんなふうに思っております。
そういう意味で、いまだに寮歌祭というものが開かれまして、友だちとのつながりが強い。そして非常に人生を謳歌するというような感じがあるわけです。私はその昔の高等学校が半分大学へ移ったんじゃないかなという気がしているわけです。
しかも、女の子の寮歌になりますと、「皇国(すめらみくに)」という言葉を使ったりした状況があるわけでございます。これはそれでいいんだというふうに軽くお考えになりますか、それとも宗教教育という観点あるいは軍国主義という観点から、文部省の現在の教育指導方針として非常に問題があるというふうにお考えになりますか。 ここは非常に大事な点です。
ですが、先生のおっしゃったように、オリジナルというのは、確かに、人間が新しく考え出したものという意味に理解いたしますれば、そういうものがもちろん著作権として保護されるわけでございますが、また、一つの曲の例として、先生今おっしゃいましたのは一高の寮歌の例、この「アムール川の流血や」という寮歌がございまして、これが文句が変わりまして、「万朶の桜か襟の色」という「歩兵の本領」になり、戦後はメーデーのための
私どもが師範学校の生徒のときに寮歌がありました。「北は三潮荒波の」、三つの潮がここに流れてくる。親潮、黒潮、それから津軽海流、日本海からも来る。したがってまた、漁業にとってもよき場所なんだ。したがってまた、霧も発生するのです、暖流と寒流とぶつかるものですから。潮の流れ、また南流、北流です。そういう海難の最も多いこの場所です。
と申しますのは、あれは三高の寮歌でございましてね、あの寮歌をテレビで聞きますと、あのときああやって歌っていた学生たちが学徒動員で引っ張られたなというのにすぐつながってくるわけなんですよ。それからまた、学徒出陣で出た学生たちのスケッチの展覧会というのが先般開かれまして、これも大分反響を呼びました。それから十二月になりますと、日本ではベートベンの「第九」が各地で行われる。
もちろん同期の者としてのいろんな寮歌とか賛歌とか、そういう正規のものはあるようでございますが、それ以外にいろんな伝統的に替え歌が出てきた、そうしてまたそれをいろんなコンパ等の中で歌っておる、こういうふうに承知しておる次第でございます。
○福田内閣総理大臣 反覇権という文字ですね、この覇権というそもそも文字は昔からある言葉なんですが、私どもの学生時代の寮歌にも、覇権を譲ることなかれなんていうような文字があるくらいでございまして、これは古い言葉なんです。ただ、これが政治上、外交上の言葉として出てきたのは、私の理解するところでは中国じゃないか、こういうふうに思うわけであります。
中でも、二年在学当時に作詞された「潮を焚くか不知火の」で始まる五高の寮歌は、当時この高校に集う若き駿秀の気概をふるい立たせるものであり、いまなお当時ともに学んだ人々に愛唱され続けているところであります。 東京大学では英法を学ばれ、昭和十一年、卒業後直ちに内務省に入り、翌十二年には、早くも香川県の警務課長に抜てきされました。当時、新聞では、全国で一番若い課長さんとして話題となったのであります。
こういうふうな内容で、メロディーはどんなメロディーかというと、一高の寮歌ですね、「鳴呼玉杯に花うけて」、あのメロディーを使っている歌なんです。 そこで厚生省に——厚生省来ておられますか。おられませんか。それは困りましたな。で、まあ厚生省に聞いたら一番はっきりすると思うんですけれども、保育所というたら零歳から就学前児童ですね。
ただ一高の寮歌を歌つて別れたという結果でございましたから‥‥。
一高の寮歌を歌うために、わざわざ忙しい体をそういうことに費やすということは、考えられんじやないですか。この忙しい世の中に、國民は皆食うに困つているのに、あなたたちだけが贅沢な二号の家で、大酒盛りを行うなんということは、考えられんじやないですか。
それは実際問題として覚えておりますのは、一高の寮歌を歌つて、昔の……。
それから一高の寮歌の——歌であります—寮歌の話、こういうふうなもの。それから日野原社長は淺野總一郎氏の何か系統のような話をしておりました。淺野總一郎の人物論というふうな話なんかを聞かされたことが、今記憶に残つております。