2013-12-04 第185回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号
樺太真岡の収容所は帰還を待ち続ける人たちであふれ、寒さの中でテント生活を強いられたり、食料も黒パンと塩生ニシンの配給のみといった状況もあり、こうした劣悪な環境の中で、祖国の土を踏むことなく失われた命も多数あったわけであります。
樺太真岡の収容所は帰還を待ち続ける人たちであふれ、寒さの中でテント生活を強いられたり、食料も黒パンと塩生ニシンの配給のみといった状況もあり、こうした劣悪な環境の中で、祖国の土を踏むことなく失われた命も多数あったわけであります。
麻生太郎君) これは今お答えを小渕副大臣からいたしましたように、これはこれまでの三党なり二党なりいろいろな話の中からこの問題は出てきているんですが、やっぱり税源をどうするかとか、その分だけ税収が落ち込んだ分どうするかという財源の問題と、これはいい、これは駄目というのの線引きは物すごい難しいというのは、これはイギリスで一五%に上がったときでしたが、上がったときにたまたまそこにおりましたので、何でこれが、黒パン
抑留中は、零下四十度と言われるような酷寒の地で、炭鉱ですとか森林伐採などの重労働を強いられ、一日の食事はわずかな黒パンと塩スープだけだった。酷寒と重労働と飢えという三重苦のもとで苦しめられ、亡くなった方たちの遺骨の多くはいまだ異国の地に眠ったままでございます。 終戦直後、旧ソ連のスターリンが旧日本軍人らの労働利用について触れた極秘指令を出していたなど、国際法違反は極めて重大でありました。
その四つ目から、さきたまロール、イギリス食パン、フランスパン、黒パン、この四つというのは埼玉県のパンです。なぜ農薬が検出されなかったのか、それは国産の小麦を使っていたからなんです。国産の場合の農薬使用は麦の成長期に使われるが、収穫期やそしてまた収穫後のポストハーベスト農薬として使用されていないから小麦にこの農薬が残らないということなんですね。
それから、暖もなければ、食事は黒パン一日三百グラムですから推して知るべし、あとはスープ一杯と。それで中身は重労働で、ノルマを達成しないとこの少ない食事すら削られたと。ですから、実際は六十四万人が抑留をされたという、これはロシアの抑留問題専門家のガリッキー海軍大佐の軍事歴史雑誌というのに載っているわけですけれども、六十四万人のうちの一割近くが半年間、最初の冬で亡くなっているわけです。
そして、食料も黒パン一日三百グラムにおわん一杯のおかゆ、そして暖も思うに任せず、重労働が待っておりまして、これは銃剣を持った警備兵の監視の下で重労働をさせられまして、驚くことに、一九四五年十月から四六年の五月までの間にシベリアにおいて亡くなられた六万人の方々のうち八〇%の四万八千人がこの時期に亡くなられているわけなんです。
当時は、黒パン一切れでも日本人と分け合った仲と、自分だけが辛い経験をしたとは思っていません。 日本政府に対して、恨みつらみが爆発した提訴ではなく、何十年もの間、ひとりの人間として、平等を願う、自分の存在を認めてほしいという思いの提訴でした。戦後という時代が流れていく中、国籍という引かれた線の溝に、すっぽりはまって誰にも気づいてもらえなかった父が、提訴という形で世間にやっと気づいてもらえました。
○岡本委員 昔からよく帽子をかいて、次の人がまたその帽子を写してかいて、ずっと何人か続いたらしまいには黒パンをかいておった、こういうことで、伝え聞いた話というのは非常に曲がることがあるんですね。ですから、私は、この保健部会、これがよくひとつ患者の皆さんの いろいろな人があると思うのですね。だからその人たちの意見を十分反映できるような、こういう配慮をひとつお願いしたい。
ソ連という国は、戦争中は黒パンと塩しか配給しなかった国です。そういう国ですから、もうそうなれば、それこそ黒パンと塩だけでもがんばるというようなことで、軍拡競争が極端にエスカレートする心配もあるわけなんですね。 ところが幸いにしてレーガン大統領も、西ヨーロッパの説得が功を奏したのか、十一月十八日にゼロオプションということを言いましたね、中距離弾道ミサイルに関して。
ロシアの黒パンからあるいはフランスのかたいパン、いろいろあります。だから私は、自給率を高める、日本の農業を発展させるという点について言いますと、やはり政策で誘導しなければならない。だから、高めるためにはこうするのだというものがなければ、農民にいたずらに意欲をかき立たせて、おまえは必要だからこれをつくれということだけではうまくない、私はこう思うわけですね。
三百グラムの黒パンと岩塩の入ったスープで、長い人は十年以上も抑留をされ、その当時の厳しい実態については関係者の間で抑留記をつくっているようであります。私たちは、ただ一つの会合でそういう話を聞いただけでそのすべてを知るわけではありませんけれども、強い印象を受けたことは事実であります。
一例を申し上げますと、いま漁業の日ソ交渉をやっておられますけれども、ソ連の交渉の方々が日本に来られて一週間、二週間滞在するということになると必ず黒パンを持ってくるのですね。
黒パンを食べてそうして弁護をやっておった。そのときに、近藤儀一先輩はマッカーサーのところに行って、こんなことで極東裁判の公平な審理ができるか。少なくとも食糧なり、その環境整備についても同じようにやってくれ。私の先輩で、私にちょっと話されたことがあります。あるいは首を切られるかもわからないという覚悟で言ったけれども、マッカーサーは率直にその考え方を聞いてくれて、白いパンをくれたというのです。
○岡本委員 これは昔から、初め帽子をかいた人が次々写していったら、しまいに黒パンになったという話がありますけれども、やはり事同じ農林省で、しかも食糧庁管内において、こっちで言うのと向こうで言うのと違うようなことでは相ならない。ひとつもう一度よく調査をして返事をもらいたいと思います。 そこで次に、農地局長おりますね。たとえば汚染地区と非汚染地区の畑、田でどの辺に線を引くか。
そうすると、黒パンと白パンと栄養的にはどちらがいいのでしょう。
ただ、新聞に黒パンと書いてありましたので、きょうは現物を持たせてまいったのでございますが、自パンと黒パンとの比較をしていただきますと、そうたいした違いはございません。ただ、私はこれを聞いて驚いたのでございますが、この漂白いたしますのは、もうほとんどいずれの国も漂白は禁止しておる。日本だけはまだ漂白パンを食べさせておる。これは漂白剤の人体に及ぼす影響等もありまして、ですから……。
それから、黒パンでも、ジャガイモでも、タラ、ニシンなんかでも、みんな水銀を検出できるわけですが、このスズキ、チヌ、サワラという成績は熊本大学で出された成績だと思いますが、イガイの方は非常にたくさん含まれておって、しかも国立衛生試験所で出された成績だ。一体、ほかの方の無毒地域というふうに見られる対照例との比較はどのくらいのものでしょうか。
ロシヤ人は、スープを吸い、主食にはイモ、黒パンを食つて、それでがまんできるわけです。私たち日本時代からの生活標準というものから見ますと、私ではできないわけです。おそらく日本の一般の人もできないと思います。ただ、そこに、さっきも話した日本人労働者のうちで、日本時代のタコ部屋、そういうところから浮き上ったような人は、少しピンぼけしている人がいるわけです。
この点に関し、過日、海外同胞引揚特別委員会における柴田団長外三名の引揚者参考人の報告によりますと、収容所管理当局は、わが同胞の絶対絶命の生きんがための抗議に対して反省せざるのみならず、かえつて、報復手段として、二月二五日以来、給与わずかに黒パン四百五十グラム——黒パン四百五十グラムというと、一斤の三分の一程度であります。
パンは三百五十グラムの黒パンであります。病人食というのは、それの内容はあぶらけが多くて、そのほかに白パンで、バターとそれから牛乳が折々つきます。それに病人食ではありませんけれども、また白パンもくれませんけれども、十五号食と申しまして、飯の分量が一倍半くらいあるものを食わす十五号食というものがあります。十五号食は折々どうかすると牛乳をくれたりするようですが、病人食とは若干違う。
住民自体が食糧が不足で、食べるものがないのでありますから、私ら囚人の方には、ときどき主食である黒パンが切れまして、一週間ぐらい全然パンの配給がないことがままありました。一月に一回ないし二回は必ずそういうことがあったのであります。そんなときには、パンを食わずに、やむを得ず燕麦のあり合せのカーシャ、あるいはスープを作りました。
先ほどからあなたがおっしゃることも、三百グラムの米と、それから一回の黒パンのパン食と、その他の副食物、これらについてビタミン不足だということなのでしょうが、ビタミン不足だということについては、日赤の留守家族の方々に対しても、まことにお気の毒で報告に忍びないが、実はかくかくでビタミン不足で非常に困っておられる。