2020-02-14 第201回国会 参議院 本会議 第5号
祖父母は開拓者であり、父方は宮城県三本木町から、母方は奈良県十津川村から入植いたしました。 明治時代に入植した人々は、百年後、二百年後に子孫がこの土地で繁栄することを目指して開拓しようと語り合ってきたといいます。父や母は、そして祖父は、曽祖父らが大自然と格闘しながらも、その恵みに感謝しながら生き抜くその背中を見ながら育ちました。
祖父母は開拓者であり、父方は宮城県三本木町から、母方は奈良県十津川村から入植いたしました。 明治時代に入植した人々は、百年後、二百年後に子孫がこの土地で繁栄することを目指して開拓しようと語り合ってきたといいます。父や母は、そして祖父は、曽祖父らが大自然と格闘しながらも、その恵みに感謝しながら生き抜くその背中を見ながら育ちました。
今、連続テレビ小説「なつぞら」を放送されておりますけれども、この舞台は十勝でありまして、私も、開拓者精神を持って北海道に入植された皆様方の御苦労というのを毎日見ておりまして、非常に胸が熱くなっている一人であります。酪農家がどうやって結託をしていったのか、また、乳量をふやすためにどんな苦労を積み重ねてきたのかということも非常にこのドラマで詳細に描かれておりまして、大変勉強になるんです。
ということは、先駆者的な取組をすると、要は単に勇敢な開拓者という形で、それで、後から使う、全国展開してですね、後発の方々はぬれ手にアワということですね、フリーライドまるっきりオーケーということになってしまうわけでございます。
高齢の生産者が多い京都のある中山間地域に視察に参りましたけれども、地域で栽培可能なものから販路の開拓者が売れ筋を考えて商品を開発して、生産者と全量買取りの契約をして、おばあちゃんたちは全部買ってくれるとなるとやる気が出るそうです。一生懸命作る、そして意欲を高めて所得向上に貢献をしています。 どういうものを作ってもらったかというと、トウガラシだそうです。
現在は無人島でありますが、当時は開拓者の古賀辰四郎氏にちなみ古賀村と呼ばれ、最盛期には九十九戸、二百四十八名が生活し、漁業やかつおぶし工場などが行われていたと記録されております。 石垣市は、明治二十八年に日本政府が尖閣諸島を我が国の領土として編入することを閣議決定した一月十四日を尖閣諸島開拓の日として、平成二十二年に条例を制定いたしました。
開拓者の先人の苦労を忍ぶ、いわゆる町民の文集があります。私も寄稿させていただきました。私の町の文集の名前は「凍裂のひびき」というタイトルです。これは、しばれる、裂ける。これはどういうことかといいますと、冬、余りにも外気温が低下し過ぎると、木がパキーン、パキーン、余りにもしばれると木が割れるんです、裂けるんです。木の専門家である長官、聞いたことあるかどうか分かりません、私も聞いたことありません。
開拓者が一番幸せでした、開拓者が。ライバルであり、仲間なんですよ。お互いにみんな真っ裸なんですよ。相手がどのぐらい金持っているか金持っていないか、どのぐらい頑張っているか、みんな見えるわけですね。地域というのは、信頼できるライバルですね、そういう関係で結ばれるのが非常にいいと思います。 そして、人間は楽な生き方というのは、多分、隠し事がないということでございます。
そして、十九日、魚釣島の前に、洋上でかつおぶし工場を見たときに、これは開拓者の心なんだと思ったんですね。明治二十九年に古賀辰四郎さんが明治政府から魚釣島を無償で貸してもらいました。そして、かつおぶし工場を造ったり、缶詰工場を造ったり、羽毛の採取をしたり、牧畜をしたり、多いときには二百五十人ぐらいが魚釣島に住んでいらっしゃいました。住居の跡も今も見えます。しかし、もう廃墟になっています。
一方で、総理は一月の本会議場で、国家戦略としての成長の基盤としての教育、人材についてということで、私、質問しましたときに、日本経済の再生のためには、それを支える人材をいかに育成していくかが大きな鍵となると考えておる、特に、新たな時代の開拓者たらんという若者の大きな志を引き出す教育が求められている、このような認識の下で、自ら学び考える力を育む教育の充実を図り、産官学の英知を結集して、挑戦を担う人づくりの
御指摘のとおり、日本経済の再生のためには、それを支える人材をいかに育成していくかが大きな鍵になると考えており、特に、新たな時代の開拓者たらんという若者の大きな志を引き出す教育が求められていると思います。
新たな時代の開拓者たらんという若者の大きな志を引き出すべく、グローバル人材の育成や自ら学び考える力を育む教育など人材の開発を進めます。また、豊かなふるさとを目指した新たな地域発展モデルの構築や、海洋資源の宝庫と言われる周辺海域の開発、宇宙空間の開発利用の戦略的推進体制の構築など、新しい日本のフロンティアを開拓するための方策を検討していきます。
新たな時代の開拓者たらんという若者の大きな志を引き出すべく、グローバル人材の育成や、みずから学び考える力をはぐくむ教育など、人材の開発を進めます。 また、豊かなふるさとを目指した新たな地域発展モデルの構築や、海洋資源の宝庫と言われる周辺海域の開発、宇宙空間の開発利用の戦略的な推進体制の構築など、新しい日本のフロンティアを開拓するための方策を検討していきます。
その方は開拓者の二代目の方で、山の中に入って一生懸命酪農家をされていた。四十代後半のときにフィリピンの方と結婚をされて、二人の子供が生まれました。今回の原発災害において、もう原乳の出荷停止、牧草も駄目、餌代が跳ね上がる、収入はない、借入金はある、そのために新しい融資は受けることができない。それで、夜逃げをし、そしてフィリピンまで行ってしまった。
そのことで、開拓者を含めて、たくさんの方々が北海道で農業に従事をしてこられました。そして、大臣からも解説があったように、くしの歯が欠けるように一戸また一戸と離農をして、そして農地を近隣の人に農業委員会経由で引き取ってもらって、残された農家は規模拡大をし、そして離農し、新しい仕事を離農された方は求めていったわけであります。
○小野寺委員 それから、第七条に、これはちょっとありがたい制度なんですが、開拓者等の施設の災害復旧事業に対する補助ということで、これは水産動植物の養殖施設、これに実は手当てするという制度も第七条にはあります。ところが、ここの中に定置網が抜けています。
同社は、「開拓者精神を貫き、社会に貢献しよう」との企業理念の下設立され、国内甘味資源の確保と北海道畑作農業の振興と同時に、地域の雇用という重要な役割を果たしております。芽室製糖所は日量八千百トンのてん菜処理能力を有しており、こちらも東洋一の規模を誇っております。 次に、同じく芽室町の北海道立十勝農業試験場であります。
こうした状況にありながら、元島民たちは月日の経過とともに開拓者精神をよみがえらせ、厳しい生活環境の中、元島民同士が出身別の島の会などを組織し、互いに励まし合いながら再び故郷の地に戻る日を誓い合うようになったのであります。
第一に、芸術文化は人が資源であり、開拓者そのものであることにかんがみ、それに携わる人を国や社会の宝として尊重、尊敬すべき人としての位置づけと、支える仕組みが必要であります。その具体策として、社会保障や権利の保護を制度化する芸術家の社会的地位向上法の制定と、芸術家の公的雇用を拡大すべきであります。
その後の先生の情報公開法を初めとする、開拓者といいますか、いわゆる官庁間革命も起こされたもとをいろいろ御発表なさっているということに大変敬意を持っておる次第でございます。 きょう、私は、最後に先生がお話しになりましたメディアに対するアクセス権ということについて、少しお聞きをしたいと思っております。
小柴先生につきましては、記者会見でも、皆さんテレビでごらんになったとおりでございまして、十数年前より、ことしは来るか、ことしは来るかと、そういう意味で、ニュートリノ天文学の開拓者として我々も常にウオッチをしてきたところでございまして、ことし受賞をされたということを大変喜んでおるわけでありますけれども、残念ながら、田中さんの方は、実はそういう意識は余りなかったわけでございます。