2021-04-23 第204回国会 衆議院 厚生労働委員会 第15号
大臣、何か後ろから、聖徳太子じゃないじゃないですか、やはり。 ですから、大臣、やはりこれは、過去の負担増の例も含めて、負担増が健康にもたらす影響についてまず調べる、これが今やるべきことなんじゃないですか。法案の審議は終わりましょうよ。もう、今日、菅原筆頭もいなくなり、採決もなしというふうになったんですから。 もう本当に、私は、ここでいつも質問しながら物すごく悩んでいるわけですよ。
大臣、何か後ろから、聖徳太子じゃないじゃないですか、やはり。 ですから、大臣、やはりこれは、過去の負担増の例も含めて、負担増が健康にもたらす影響についてまず調べる、これが今やるべきことなんじゃないですか。法案の審議は終わりましょうよ。もう、今日、菅原筆頭もいなくなり、採決もなしというふうになったんですから。 もう本当に、私は、ここでいつも質問しながら物すごく悩んでいるわけですよ。
○田村国務大臣 済みません、聖徳太子じゃございませんが、何とか二つは聞けますので。申し訳ありません。 実は、今も、先ほどちょっと聞いてくださいと言ったときに、二月の数字なんですよね。私もこの数字を知っていて、一・八兆円用意して、それが交付決定が一・七兆円、交付済みが一・五兆円なんですよ。
多数同時接続、これはなかなかイメージが難しいんですけれども、大量のデータを、一気に大量のハードウエアに対して指示を与え、自由に動かすことができるということでございまして、ちょっと恐れ多いんですが、私のイメージとしては、千手観音様の手を得、聖徳太子様の耳を得るということではないかというふうに思います。
日本最初の成文法である聖徳太子の十七条の憲法第一条は、和をもって貴しとなすです。日本の文化、風土の中で、令和の和、平和の和である和がいかに大切に考えられてきたかということだろうと思います。憲法についても、それぞれが思うところを持ち寄って、令和の時代にふさわしい、さすがは参議院と言われるような議論をすべきだと考えます。 既に戦後七十年以上となり、社会も経済も国際情勢も大きく変わっています。
それから、日本銀行券に係る肖像につきましては、これは偽造防止の観点からなるべく精密なものをつくるということで、聖徳太子というようなものでは写真があったわけではありませんし、そういった意味では、きちんと精密な写真ができること、それから肖像とか彫刻の観点から品格のある、お札にふさわしい肖像であること、また、肖像の人物が国民各層に広く知られていて、その業績が広く認められていることといった観点を踏まえて、明治以降
恐らく、負債の部に立てる一万円券を、日銀券を使って国債を買い支えて、そしてその国債の利払い費が入るというわけでありまして、紙幣の総量が、福沢諭吉翁の、今度でいえば渋沢栄一翁の発行する総量が、断面で捉えると、実は、八四年の聖徳太子から変わったときのころは学生時代でしたから一万円札を拝むことは余りありませんでしたが、総量をきちんと管理をなさるんでしょうけれども、ある断面で捉えたら、実は、今度の渋沢翁の新紙幣
梅原猛は、「隠された十字架」ということで、聖徳太子のころをやっているうちに、どうも、日本文化あるいは日本社会というのは縄文文化を基底とするわけですけれども、それと非常に近いところにいるのがアイヌではないかと。アイヌの宗教観と、非常に縄文文化とはよく似ているのではないかということを一番最初に、私が知っている限りでは一番最初に指摘した人じゃないかなというふうに思います。
要するに、和をもって貴しとなせと言っているような話で、まさに聖徳太子の十七条の憲法そのものの精神で、非常に本当にいい元号を選んでいただいたと思っています。 以上で私、質問を終わります。ありがとうございました。
ことしは明治維新百五十年、明治の精神ともいうべき五カ条の御誓文は、松平春嶽、横井小楠、由利公正などによる改革の集大成ですが、広く会議を興し、万機公論に決すべし、更に歴史をさかのぼれば、聖徳太子の和をもってたっとしとなすという多数な意見の尊重と徹底した議論による決定という民主主義の基本は、我が国古来の伝統であり、敗戦後に連合国から教えられたものではありません。
どうもサッカーワールドカップの主題歌として作られようとしていたというのもあって、国旗に対する、その選手が思いを誓い合うというようなイメージもあったんじゃないかとアーティストの今井先生がおっしゃっていたんですけれども、歌詞を読んでみても、ああ、もう普通にこの国が好きだという、みんなで一つになろうというような歌だなと思うんですが、これが例えば日出づる国が愛国的だとか、日出づる国なんて聖徳太子のときから日出
昔、お札を改刷をする必要があって、聖徳太子の偽札が出回ったので、福沢先生に御登場いただいて新札を造るという政策を当時の伊吹文明理財局国庫課長が提案をしてこられたことがありました。そのときの大臣は、じゃ、印刷局長は、ノンキャリの印刷局長で、毎晩一升瓶ぶら下げて現場回れるやつは誰かいないかと言ったところ、東北財務局長の石井直一さんというノンキャリの方が出てきた。
昨年、聖徳太子という言葉が教科書からなくなるのではないかということで非常に問題になりました。このときにパブリックコメントを行って、最終的には聖徳太子という言葉が残るということになったんですけれども、これまたそもそもおかしいと思うんですよね。
○麻生国務大臣 昭和三十三年に一万円札、今の前の聖徳太子の一万円札ですけれども、それから今回の平成十何年まで、いろいろ今おっしゃったとおりなんですけれども、この三十三年から比べて今日までずっとなかった大きな理由の一つは、多分クレジットカードなんだと思うんですね。
すばらしいリーダーシップを発揮していただいて、学習指導要領、最後のところできちっと御判断をいただいた聖徳太子についてであります。 私が、前回の委員会、たしか三月九日の委員会でこの学習指導要領について、聖徳太子を厩戸王という形に名前をどんどん変えていくような改訂はおかしいんじゃないかという問題提起をさせていただきました。
○国務大臣(松野博一君) 学習指導要領改訂案について実施をしたパブリックコメントについては現在整理中でございますが、委員から御指摘がありました聖徳太子に関する意見としては、例えば、小中学校で同一人物の表記が異なるのは小中接続の観点でも問題である、教員が教えにくいばかりか、児童生徒が混乱し理解の妨げになる、万人に認知され国民に親しまれている名である聖徳太子を厩戸王に変えることには反対であるなどの御意見
○松沢成文君 とはいっても、もう新聞報道であそこまで変えるって出ちゃっていますからね、特に聖徳太子や鎖国については。今更、発表では変えません、答申どおりでいきますというのをやっても国民が混乱するばかりだと思いますので、今は言えないのかもしれませんが、是非とも賢明な判断をいただきたいというふうに思います。 さて、そこで、この聖徳太子については特にこれ国民的な議論があったんです。
細かく見ていってちょっと驚いたのは、聖徳太子の名称記載が今度変更されるんです。今までは聖徳太子と書いてあったのが、今度は聖徳太子(厩戸王)とかですね、あるいは中学校になると厩戸王というのが表に出てきて、(聖徳太子)と、こうなるわけですね。
○松沢成文君 これ極めて分かりにくくて、小学校で教えるのが聖徳太子(厩戸王)、そして中学校は厩戸王が出てきて(聖徳太子)ですね。だんだん聖徳太子、小さくなっていくわけですよ。そうしたら、今度、次に改訂される高校の学習指導要領では厩戸王だけになっちゃう可能性も私は心配しているんですね。 というのは、聖徳太子の偉業を歴史の中で教えていくというのは、これ連続性がなきゃいけないわけです。
○国務大臣(松野博一君) 現在パブリックコメントを行っております学習指導要領改訂案では、現行学習指導要領において聖徳太子としている表記を、小学校社会科において聖徳太子(厩戸王)、中学校社会科において厩戸王(聖徳太子)としております。
聖徳太子について、中学校の歴史的分野において「厩戸王(聖徳太子)」にするというんですよ。これは何ですか。 そして、かつて一部歴史学者の中で聖徳太子虚構説なんというのがありました。これはもう本当にどうしようもない学説だ。こういうことに影響されて、今回、こういった判断がなされたのかどうか。このことは、大臣にもまたしっかりと私は調べていただきたいと思う。
○松野国務大臣 先月十四日に公表し、現在パブリックコメントを行っている学習指導要領改訂案では、中学校の社会科において、聖徳太子の表記を「厩戸王(聖徳太子)」としております。
○笠委員 今大臣がおっしゃったように、小学校で「聖徳太子(厩戸王)」、中学校では「厩戸王(聖徳太子)」。(発言する者あり)聖徳太子を括弧にすること自体が本当に今あったように問題外であり、大臣のときにもしこんなことをやったら、後世に汚点を残しますよ、大臣。 もう一度、大臣のお考えを再度伺いたいと思います。
窮民救済は我が国の有史以来のテーマでありまして、古くは日本書紀の聖徳太子伝に推古天皇七年の別府地方地震において調庸を免ず、すなわち税金を取らないことにしたという記述があるほど、古くからの重要な政治テーマでした。 峻険な山岳を抱え、変化に富む気候を持つ我が国では、災害の種類も、地震、津波、台風、水害、地すべり等、多岐にわたるわけでございます。
私たちの国の最初の憲法は聖徳太子十七か条第一条、和をもって貴しとなすという言葉ですから、まさに平和の象徴である東京オリンピックを成功させるということはとても大事なことだろうと思います。 復興五輪については、昨日バッハ会長からも野球とかソフトボールは被災地で開催というお話もありましたから、これも非常に復興、被災地の皆さんが勇気付け、元気付けられることではないんだろうかと思うわけであります。
○平野委員 これはもっと古くて、私も定かではありませんが、聖徳太子の、こういう時代からあったのではないかなと思います。それほど古い歴史のもとに、この大学というのをあるべき姿として、日本というのは有史以来そのことを求め続けてきた我が国であるということを前提に、今回の法改正のことについて御質問をしたいと思います。決して変な意味で大臣に今したわけではありません。
今までの議論を聞いておりまして、やはり日本は、和をもってとうとしというのを聖徳太子のときから十七条憲法に書いて、それが一千三百年、四百年脈々と続いている、価値観が変わっていないんだなというふうに思います。
同質性の高い民族と、とりわけ聖徳太子が述べた、各自が異なることを認めた上での和の精神が民族のアイデンティティー、精神的よりどころとして形成されているのではないでしょうか。 日本国憲法が西洋の考えを表したものであることは、絶対王制や専制政治から人権や自由を勝ち取ったアメリカ独立宣言とフランス革命の人権宣言が基本となっており、その源流が遠くマグナカルタや権利の章典にあることからも理解できます。