2021-10-11 第205回国会 衆議院 本会議 第3号
宮沢元総理は、竹下登元総理に対する証人喚問の求めに自民党総裁として応じておられました。 現在の宏池会の中にも、自ら刑事責任を果たし、復帰され、大臣まで務められた方もこの議場にいらっしゃるはずです。私も、刑事責任と政治責任を自分で負ったからこそ、再びこの場に立たせていただくことができたと思っております。 岸田総理は、宏池会の先輩方が守ってこられた政治の矜持をお持ちのはずだと私は信じたい。
宮沢元総理は、竹下登元総理に対する証人喚問の求めに自民党総裁として応じておられました。 現在の宏池会の中にも、自ら刑事責任を果たし、復帰され、大臣まで務められた方もこの議場にいらっしゃるはずです。私も、刑事責任と政治責任を自分で負ったからこそ、再びこの場に立たせていただくことができたと思っております。 岸田総理は、宏池会の先輩方が守ってこられた政治の矜持をお持ちのはずだと私は信じたい。
米国新大統領が最初に日本の総理と会談するのは、ソ連邦崩壊前夜の一九八九年、竹下登総理、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領以来二人目であります。
大学時代に、大学の四年生、三年の後半からNHKの方でバイトをさせていただきまして、当時、松江放送局で報道カメラマンの方にアシスタントとしてニュースの現場にいつも同行させていただいておりまして、運が良かったのは、一九八七年、昭和の六十二年十一月の六日、この日は竹下登さんが総理大臣になった日で、このときに竹下登さんの実家にNHKのカメラクルーと一緒に行かせていただいたことは今でも思い出に残っております。
どうも議歴を重ねますと昔話が多くなりますが、今から二十五年ぐらい前、故竹下登元総理から憲法についてお教えをいただく機会がありました。竹下先生は、第一章天皇から始まって第十章最高法規、第十一章補則に至るまで、憲法の章の名前を全部そらんじておられたんですね。そして、九十六条、改正まで含めて護憲だわなというふうにおっしゃっておられました。非常に印象深いことであります。
米寿を祝う会というのをやったそうなんですが、開会の辞は福井銀行頭取、発起人代表が福井県知事、そして衆議院議員代表福田一さん、参議院議員代表熊谷太三郎さん、祝電披露は、内閣総理大臣中曽根康弘、郵政大臣、大蔵大臣竹下登さんと並んで外務大臣安倍晋太郎さんまで出てくる、自民党の最高顧問福田赳夫さんとか、日本民間放送連盟会長、読売新聞社社長、朝日新聞社社長など、まさに日本の政財界のトップが勢ぞろいしている。
この方というのは関西電力の元副社長で、政界担当をされていた方が、過去、朝日新聞で、田中角栄さん、三木武夫さん等々、竹下登さんに至るまで、歴代総理に盆暮れには必ず一千万円から二千万円つけ届けをしていた、これは関電が電力料金を使ってつくった裏金だったということをこのように朝日新聞でずっと告白をされまして、大きな話題になりました。
この中で、今、カズオ・イシグロさんの話も含めた先人の話がありましたが、私も大臣になってから、政治家の先人、この取組を改めて見返すと、竹下登元総理が地球サミットと言われた九二年のリオでのサミットに出席をされて、元総理の立場でありましたが、そのときから大変な思いを持って取り組まれていることも改めて知りました。
その後、島田先生は、青山学院大学経済学部に進学をされ、在学中の昭和五十五年四月から約十五年間にわたり故竹下登元内閣総理大臣の秘書をお務めになられました。 島田先生は、消費税の導入に向けて竹下元総理が街頭で国民に訴える姿について、最終的には理解してくれると信じて行動していたと振り返り、このような竹下登先生を政治の師と仰がれていたと伺っております。
とかそういったものを次の世代に確実に引き渡すということと、少子高齢化という、長期的にはこれは国難に近いような話だと思っておるんですけれども、全世代型の社会保障費制度というものに転換をしていくためには、消費税の引上げはどうしてもこれは必要なんだと思っていろいろ御協力をお願いさせていただいておるところですけれども、これはもう先生御存じのように、この消費税というのは極めて政治的には大きな問題でして、初代竹下登
また、竹下登元総理は、国会運営は、野党の言い分を七割聞き入れて野党にげたを履かせる、与党は三割でよいと語り、伊藤宗一郎元衆議院議長は、国会は国民全体のもの、一政党の主張だけが通ることはないと述べられています。 政権与党の皆様におかれましては、これら諸先輩方の教訓をぜひ参考に生かしていただき、今後の国会運営に取り入れていただきたいと思います。
そのときに、あの当時は、女性は感情的である、そういう先入観を持たれているので、いい政策をつくってもなかなか、同僚議員たちに、女性がつくったものだからなというような、そういう取扱いを受けることは間々ある、そういうことで、まずはデータをもとに政策を示すことが大切なんだということを言われ、統計局が作成している、今先生御指摘の「日本の統計」という本に、しっかり勉強しましょう、竹下登とサインをしていただきまして
一九八八年四月五日の参議院予算委員会において、与党の質問時間に関する野末陳平議員の質問に対して、竹下登総理は次のように答弁しておられます。
かつて竹下登先生は、国会対策の妙は、野党の言うことを七割聞いて、与党のことは三割、これぐらいがちょうどいいとおっしゃいました。なるほどなと思います。 共謀罪が先日衆議院で強行採決されました。我々は堂々と本会議に出て反対票を投じましたが、乱暴な採決だったと言わざるを得ません。私、問題なのは、出口はあるんですよ、出口はあるんですけれども、そこで少数派の意見をしっかり聞いたかと。
平成元年、竹下登先生が消費税を導入されたときには、所得税も法人税も同時に減税を入れていますから、一人一人で見れば、国民全体でならせば、これは負担増になってないはずですよ、ほぼ。 そして、平成九年、橋本龍太郎さんが、橋本先生が五%引き上げをやった際も、同じく所得税の定率減税などを導入し、法人税も減税を入れ、ほぼレベニュー・ニュートラルだったはずです。
車体課税や住宅税制などなど、資料の最後につけておきましたけれども、もう時間が参りましたのでこれでまとめますけれども、実は平成元年、竹下登先生が消費税をお入れになったときに、非課税のものをこうやって分けたんですね。社会政策的に配慮したもの、そして、税の性格から、とりわけ住宅の貸し付けなんというのは非課税にしたんですけれども、家を買うときは課税のままです。マンションを買うときは課税のままです。
○麻生国務大臣 これは、吉田さん、昔の話ですけれども、竹下登大蔵大臣、今の竹下亘国対委員長のあれですけれども、このときに一自治体に一億円配ったんですよ。当時、三千七百市町村ぐらいだったと思うな。だから、三千七百億配った。どうなった、あの金。あの金、どうなったよ、各自治体は何に使った。これは調べてみるとおもしろいよ。もう本当にてんでんばらばら、実にいろいろやった。
石破大臣が二十八歳で初当選をなされた昭和六十一年の翌年、昭和六十二年に就任をされた竹下登総理大臣は、一省庁一機関の地方分散を提唱して、翌六十三年一月に、東京都二十三区部における人口及び行政、経済、文化等に関する機能の集中を是正することを目指し、「国の機関等の移転について」が閣議決定をされたところでございます。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) このパネルを見まして、山陰、特に島根県、山口県が大変厳しい状況のままでございますが、かつて青木幹雄先生もおられ、竹下登先生もおられ、そして安倍晋太郎もいたわけでありますが、非常にこれ公平にやっていたんだなという結果でもあろうと、自分の選挙区にどんどん持ってくるということではなくて。しかし、少し謙虚過ぎたのではないかという声も地元にはあるんだろうと思いますが。
○島田三郎君 私も竹下登総理に仕えた者の一人としまして、この地方創生については非常に愛着深く、今回の試み、是が非とも成功させたいと、そういう思いであるわけでありますが。 先ほど、大臣の方からRESASのお話もいただきましたけれども、地方創生を進めるに当たって、政府では、地方創生版三本の矢によって、地域の取組を情報、人材、財政の三つの側面から支援することとされておられます。
あのときに、一億円のばらまきだというふうに批判を受けましたが、竹下登総理から、いや、石破やな、それは違うんだわな、これで地方の知恵と力が分かるんだわなと出雲弁で言われたことを私はよく覚えております。