2019-11-12 第200回国会 衆議院 消費者問題に関する特別委員会 第3号
もう一つあるんですが、戒律によりハラールしか食べられないイスラム教徒、ムスリムの方も日本に多く来られております。 先日、ムスリム世界連盟日本代表部の方に話を伺ったところ、年間で八十数件、忌避とされるハラムを食べさせられた、訴訟を起こしてもらいたいというようなクレームがあったそうでございます。
もう一つあるんですが、戒律によりハラールしか食べられないイスラム教徒、ムスリムの方も日本に多く来られております。 先日、ムスリム世界連盟日本代表部の方に話を伺ったところ、年間で八十数件、忌避とされるハラムを食べさせられた、訴訟を起こしてもらいたいというようなクレームがあったそうでございます。
○榛葉賀津也君 多文化云々というのは、それはそれで結構なんですが、宗教の戒律の食事ってそんな甘いものじゃないんです。先ほども言ったように、ただ豚肉を食べないとか牛とチーズを一緒に料理しないだけではなくて、その肉が厳格な方法で処理されているのか。成城石井で買ってきたものでは駄目なんです、肉のハナマサでも駄目なんです。
ただ、この戒律を守っていることで、ユダヤ教徒としてのアイデンティティーを三千数百年も、ホロコーストがあっても、ディアスポラがあっても、何があっても、ずっとこの民族を維持をされてきたのがユダヤ教徒です。よくユダヤ民族と言いますが、これ正式には民族ではございませんで、ユダヤ教を信じればユダヤ人になるんですから、大臣も審議官もユダヤ教徒に改教されればこれはジューイッシュになるわけです。
実は、私はイスラエルに三年間住んでいまして、とにかく戒律が、特に安息日は、金曜日の日没から土曜日の日没まで安息日に入るんですが、安息日というのは単なる休息する日ではなくて一切の労働が禁じられます。
これ、食材や料理方法だけではなくて、作る方、屠殺方法、全て旧約聖書にのっとった食べ方、作り方でなければこれは戒律上駄目ということになっています。 北京オリンピックでは、ユダヤ教徒のためにわざわざキッチンとシェフを別にして対応したということがございます。ユダヤ教はイスラエルだけではなくて全世界に散らばっております。
イスラム教の二大聖地を抱えておりまして、メッカとメジーナですけれども、厳格なイスラム教の国ということで、イスラム教の戒律が国の法律だということもあって、それ用にさまざまな環境を整えていかなければいけないという制約がございます。
○麻生国務大臣 この方の略歴を見ていて、まず、所属しているのが、ボーン・アゲイン・クリスチャンという、生まれてくるならクリスチャンという宗派、宗派というか、クリスチャンの戒律が厳しい、一番右端にいるところみたいな宗教に属しておられる方で、たばこは吸わない、酒は飲まないという人で、ちょうど私と大体逆で、全く対極にいる人だなと思って、最初、会う前にそれを聞いて、えっと思っていたんですけれども。
私が申し上げたいのは、民間人だから許されるというわけではなくて、軍の場合は厳しい戒律等がありますので、コントロールはそれなりに今までやってきたわけでありますが、民間人に対していかなる手段をもってしっかりと綱紀粛正や事故防止が徹底をされるのか、これは、今回の事件を契機に、軍人のみならず、軍属もしっかりルールを守って凶悪事件を起こさないようにすることが必要であるという意味で申し上げたところでございます。
イスラム教は、御存じのとおり、本当に戒律が厳しいことで知られています。 私が昔聞いた話なんですが、あるアメリカのビジネスマンがイスラム国に転勤になりました。
そのときの考え方のポイントの一つは、イデオロギー的な議論としていくと、これは、宗教上のタブーとか戒律とかいろいろな問題があってなかなか話が進まない。だから、議論はできるだけ脱イデオロギーと申しますか、長い間、そういう議論で進めていこうということで、そうしなければ解が見つからなかったという答えを聞きました。
公務員の雇用主というのは国民でありまして、そういうことを考えますと、今どき、雇用主が雇い人をむちでたたきながら厳しい戒律を押しつけて徹底的に働かせるというような、そんな雇い方なんというのははやらないわけでありまして、だれも本気で仕事はしないという時代だと思うんですね。
また同時に、昭和二十二年三月二十日の貴族院の教育基本法案の委員会におきまして、教育勅語は、「日本国憲法の施行と同時に之と抵触する部分に付きましては其の効力を失ひ、又教育基本法の施行と同時に、之と抵触する部分に付きましては其の効力を失ひまするが、其の他の部分は両立するものと考へます、」またさらに、「それで詰り政治的な若くは法律的な効力を教育勅語は失ふのでありまして、孔孟の教へとかモーゼの戒律とか云ふやうなものと
一つは人間形成でありまして、体力、身体能力の涵養から始まりまして、表現力、習慣、規律、道徳、作法あるいは自己統御、自制心、自律心、忍耐、鍛錬、そういったものから、善悪の区別、各宗教においてそれらがどのような戒律となって述べられているか、また、刑法においては何がよいことであり何が悪いことであるかを定められておりますけれども、それらについて知ることも含めまして、全体の人間形成というものをずうっと、じわじわっとやっていく
次に質問される前川先生と私、奈良の出身でございますが、千年ほど前に律宗というのが中国から来まして、世の中を、こう行動を律するような戒律というようなものが重要視された時代でございますが、明治時代にやはり外形的な行為をとらえて近代国家をつくってきたというような気がするわけでございますけれども、江戸時代はそうじゃなかったんじゃないかなという気はするんですけれども、もう少し内面に立ち入って犯罪人の心を探究する
まず、外国人受刑者の食事の点などでございますけれども、外国人の受刑者に対しましては、その宗教上の戒律及び習慣に配慮いたしまして、例えばイスラム教徒の受刑者に対しましては、豚肉を使わない食事を給与するなどしております。また、その食習慣の違いに配慮して、外国人を多く収容する一部の施設では外国人受刑者にパンを給与する場合もございます。
ただ、食事等、一定の場合におきましては、その宗教上の戒律、習慣等を配慮した処遇が行われることはございますけれども、外国人に過度に配慮した処遇は行っているものではないと認識しております。
それは、委員御指摘のように、イスラムの文化、あるいは戒律、また宗派によっても違うでありましょう。きちんと理解をすることは必要なことでございます。ただ、それと、女性隊員に参加させる、女性隊員がその行動に参加するかどうかというのはまた別の問題でございます。
各国の刑法に定義されているこの罪は、実はほとんどの宗教が戒律の中で述べていることと重なっています。そのようなことは、何らかの方法で子供のときから次第に教わっていく必要がある事柄だと思います。 それから、人間形成の四番目に大切な項目は、体力と身体能力、運動神経、そういったものを次第に身につけ、体そのものを錬磨していくということではないかと思います。
国籍、それから言葉、それから宗派、それから実際に何というかお祈りをしたりとか、そういった戒律をちゃんと守る人もいるし、そうでない人もいるという、行動という面もあるかというふうに思います。 特に、今現在は、こういった移民の第二世代あるいは第三世代の時代に入っております。
それから、男女の平等問題でありますけれども、これはイスラムの戒律がありますものですから、イスラムの戒律の厳しいところと緩やかなところでかなり違いまして、エジプトなどのようにイスラムの戒律の緩やかなところではほぼ男女平等に近いと言っていいと思いますが、例えばサウジアラビア等では、例えば女性が車を運転してはいけないとか、女性と男性が職場とか学校で同席してはいけないと、女性は女性だけの職場、女性は女性だけの
それで、イスラムというと、法のそういう解釈が厳しいというのと戒律が厳格だというようなイメージが非常にあるんですけれども、その一方で、イスラム法の原則という非常に大事なものとして、隠されている悪事をばらしてはいけないということがあるわけですね。つまり、例えば自分が何か悪いことをしていても、それをしているというふうに言うことは別な罪を構成するわけです。
ラマダンというのは、イスラムの人たちの中で非常に重要な戒律を行うという一つであろうかとは思っておりますけれども、しかし、そのことの意味でありますとか、それはまさに専門家にお問い合わせいただければありがたいと思います。