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133件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2014-11-05 第187回国会 衆議院 外務委員会 第5号

また、廖承志団長は、世の中は道はない、歩く人が多ければ道となるという魯迅の話を引用し、歩き続ければ日中友好の道が開拓されることになると話されたと言われています。  代表団は、十三日間の滞在中、東京、名古屋、京都、大阪など六都市を訪問し、各地交流した日本人は実に七、八万人を超えるとも言われております。

伊藤忠彦

2004-02-16 第159回国会 衆議院 予算委員会 第10号

中馬委員 先ほど申しましたように、対中国の人的な交流、これが非常に大事なんですが、かつてのような、日本中国かなりトップレベルの、いや、それは政治的な意味ではなくて、周恩来さんが日本で留学したとか、あるいは廖承志さんや孫平化さん、こういったかなり影響力のある方と、日本のそれぞれ文化人やあるいはまた政治家が精神的なつながりまで持った関係を持っておりましたけれども、このごろは少し薄くなってきていることは

中馬弘毅

2000-03-23 第147回国会 参議院 外交・防衛委員会 第6号

ごとで恐縮ですが、無関係じゃないと廖承志さんが言ったのは、私の祖父が、田健治郎といいますが、台湾総督をかつて一九二〇年前後、五年ほどやっておりました。最初の文民総督であったことで印象がきっと台湾の人には強かったんだろうと思います。  大変わき道にそれましたけれども、そういうことからすると、現在国民党との間も共産党側からするとかつてのような意思疎通はないと。

田英夫

2000-03-15 第147回国会 参議院 外交・防衛委員会 第4号

もう一つ、そういう意味で言いますと、日中国交正常化交渉が成功したのは、一つLT貿易と言われる高碕達之助さんと廖承志さんの名前をとって、そのお二人の個人的な事務所という形で貿易事務所北京東京に置いて、実はそれが大きな役割を果たした。  同時にもう一つ記者交流ということをやりました。

田英夫

1997-11-05 第141回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第3号

台湾の問題も既に大分出ておりますが、二十年ほど前に廖承志さんが元気なころに、台湾国民党人たちは敵ではあるけれども抗日戦争を戦う意味で共通の敵を持った仲間であったから、かつては彼らが何を考えているか大体わかっていたけれども、ちょうど二十年前ぐらい、一九七〇年代終わりのころですが、最近は国民党も代がわりして彼らが何を考えているかよくわからなくなってきているという話をされて、田さんがもし台湾に行く機会

田英夫

1989-02-18 第114回国会 衆議院 予算委員会 第4号

○川崎(寛)委員 今答弁ございましたように日中経済覚書事務所、これは日中国交回復の前に、社会党がそのとき非常に努力をして、LT貿易という高碕・廖承志事務所というものをつくって、それが日中覚書事務所になったんですね。そしてこれが日中国交回復、こう参りました。このときにはこれは予算補助をしてきたわけです。当然のことだと思います、予算補助をいたしました。

川崎寛治

1988-04-21 第112回国会 参議院 商工委員会 第8号

かつて私は、高碕達之助先生のお供をしたりして、まだ廖承志さんとの間で細々としたパイプの、当時私は中国へ行って帰ってきて、日中議員連盟をつくったりしてやったわけですけれども、そういうときは見通しというものに自信があったし、先行きにも自信がありましたけれども、中東だけはちょっとどういうことか、もうちょっと勉強させてください。

田村元

1985-06-20 第102回国会 参議院 外務委員会 第18号

それからもう一つ連関して、先日滋賀県の武村知事が訪朝いたしました際に金日成主席が、今後日朝間ではかつての日中間のように、ある時期の日中間のようにLT貿易ですね、廖承志・高碕達之助氏、LT貿易のような形で通商貿易関係を樹立する考えがあるというふうなことを正式に表明しておりますけれども、これについては外務大臣はどういうふうにお考えになりますか。

秦豊

1984-04-11 第101回国会 衆議院 外務委員会 第6号

特に、日中国交回復に至る過程では周恩来首相やあるいは先般亡くなった廖承志先生のような、非常に困難な時代に歴史の風雪に耐えて日中間のかけ橋になった方がたくさんおられまして、その方々のおかげで今日の日中関係というのは土台が固まったんだと思うのでありますけれども、今後はああいう形の方を見出していくということは非常に困難になってくると思うのでありまして、そういう意味で、何かいわば高度な留学生制度というのを我々

河上民雄

1984-04-11 第101回国会 衆議院 外務委員会 第6号

河上委員 余り時間がございませんのでこの辺でやめますが、私は、戦後の日米関係の中でフルブライターが果たした役割というのは非常に大きいと思いますので、日中版フルブライト委員会みたいなものをつくって、第二の周恩来、第二の廖承志あるいは日本中国研究者として第二の吉川幸次郎のような人を出していくような留学生制度というのをやはりつくっていくことが必要ではないか、こんなふうに思っておりますので、これはここで

河上民雄

1984-03-23 第101回国会 衆議院 文教委員会 第3号

私自身は先般、二年ほど前でありますが、中国に参りましたときに、お亡くなりになりましたけれども廖承志先生がいらっしゃって、たまたま早稲田大学の先輩であるという意味で親しみもありましたので、正直申し上げて一番大事な漢字を粗末にしないでください、漢字には音ではなくて表意という意味で無言のいろいろな教えがある、私はとても大事な言葉だと思うし、特に今四十五億になりましたか、地球上の中で漢字にかかわり合いを持つ

森喜朗

1982-07-01 第96回国会 参議院 外務委員会 第12号

私はいま国会を守る自由民権を口とし、民主主義を口とする人は多いけれども、だれが人民のために、——人民と言っちゃいけないと廖承志君が言った。私は烈々たる愛国者だと言って、一九六〇年に北京に行ったとき彼が言った。戸叶さんの日本の国で使っている言葉国民だから、国民と翻訳を改めてくれと。廖承志君の偉さはその人の心をわかってくれることです。言葉じりで物を言っているんではない、気魄だ、人間の。

戸叶武

1982-04-12 第96回国会 衆議院 安全保障特別委員会 第3号

そこで、先日、日本新聞協会代表団中国に参りまして廖承志氏と会った際に、この代表団団長は私の地元の西日本新聞福田利光という社長でありますが、その際、廖承志氏から、台湾への武器売却問題で悪化した米中関係について、日本中国、米国と深い関係にあり、政治的影響力を行使してアジア、世界の平和のために貢献することができるのではないか、日本として何らかの考えを表明すべき時期が来ているという趣旨の発言があったやに

山崎拓

1981-04-23 第94回国会 参議院 外務委員会 第5号

中国はいままで、廖承志のお父さんの廖仲トウは暗殺されたけれども、国共合作をやって。ソ連とでも手を組まなければ軍閥を倒せないという必死の形においての中国ヤングチャイナの動き、それが兄弟党であるソ連に裏切られ、日本がドイツその他の帝国主義のまねをして、二十一カ条をたたきつけて親日から反日へ転換させた。  

戸叶武

1979-06-01 第87回国会 衆議院 外務委員会 第14号

この間から中国首脳部総理は何回かにわたってお会いになりまして、鄧小平副首相鄧頴超全人代常務委員長、それから廖承志中日友好協会会長、三者いずれも総理の訪中を要望されたようにお伺いするわけであります。またそれと一緒華国鋒主席訪日する旨の意思表示が行われたように報道等によって承っているわけであります。  

渡部一郎