2011-02-16 第177回国会 衆議院 予算委員会 第12号
今総理が言われた、孫文の大アジア主義の演説のことに触れられたんだと思うんですが、私も、松本先生の論文を契機にこの大アジア主義の演説、いろいろな原稿があるのでさまざまな解釈がありますけれども、読ませていただきました。 孫文は、一九二四年、大正十三年に、第一次国共合作協議のため北京に向かう途中、北京に行かないで、長崎から神戸に来られて、大アジア主義と題した演説を行いました。
今総理が言われた、孫文の大アジア主義の演説のことに触れられたんだと思うんですが、私も、松本先生の論文を契機にこの大アジア主義の演説、いろいろな原稿があるのでさまざまな解釈がありますけれども、読ませていただきました。 孫文は、一九二四年、大正十三年に、第一次国共合作協議のため北京に向かう途中、北京に行かないで、長崎から神戸に来られて、大アジア主義と題した演説を行いました。
また、安重根という人物が、単なるテロリストではなくして、熱烈なクリスチャンであり、そして、彼がかつて、東方合邦といいましょうか、つまり、欧米列強に対して日本、中国、韓国が協力して当たるべしという、その後に出てくるある種の大アジア主義のようなものを唱えていたということも、日本ではなかなか知られていないと思います。そう考えていきますと、私は、この二人の人物は非常におもしろい。
たとえば、私はこの間、思想哲学の領域に入るからあれですが、戦前右翼の大アジア主義という問題を一つ取り上げました。これはこの当時は八紘一宇と言ったのです。天の下覆いて家となす、これ人類きょうだいなんですよ。世界一家なんです。空でいったけれども、今度は水でいっているのじゃないですか。水はどこへでもつながっていますから。
実は笹川さんがそうであるかどうかは別にいたしまして、戦前右翼と戦後右翼は、戦前右翼が天皇信仰、大アジア主義というふうなものが二つのスローガンになっておったようでありますけれども、実は戦後、基本的には変わらないで、欧米文化に対する反発というふうなものが消えて、反米が親米になっておる、反共はもちろん以前と変わらないというあたりの違いだけで、そう基本的に変わっていないのじゃないかというふうに私は思うわけです
そこに浅沼君に対しての切々とした周恩来氏の訴えがあり、素朴な大アジア主義的な夢を持っておった浅沼君としては、隣国中国の窮地を打開するためには一身を捨てても自分はこれに対応しなければならないと決意した模様であります。
すべきものであるということを対句のように必ずあらゆる席上において述べ、中国でも紅旗においてその言葉を取り上げてくれたのですが、自主独立の路線以外に、みずからがその国の運命を開拓する以外にその国の運命というものは開拓されないということを私は身をもって体験しておりますので、中国の人にもその考え方を伝えたいと思いましたが、周恩来さんはすでにそのことは百も承知で、アメリカに呼びかけてもアメリカは相手にしない、素朴な大アジア主義
素朴な大アジア主義的な考えを持っていて、中国の人々が苦悩の限りを尽くして日本にすがってきたときに、これを突き放すことができない。ここで浅沼は死のうということを私は覚悟してあの発言はして、あの発言の裏には言外の意味に無限のものが含まれていると思いましたから、私は浅沼発言を取り消すことなく、もっと中国も成長していくという信念のもとに浅沼発言というものの取り消しをしないできたのです。
孫文が大正十三年、ソ連と組んで北洋軍閥を打ち砕く以外に中国の統一はないと思って、北京に行くときに――その前に神戸に来て、日本に訴え、北京に行ったのですが、日本側の主催者が、勝手に大アジア主義なんて題名をつけただけだか、大アジア主義よりは、孫文は、中国革命は武力革命以外にだめなんだという信念のもとで、命をかけて革命をやっちゃ失敗してきた男です。
そういう意味において、素朴な大アジア主義的な考え方でなくて、日本と中国との結びつきによってアジアの暗黒に光を与えることができる、日本と中国がアジアの灯台たり得るという確信を、日本も中国も、イデオロギーを超えて、国家性格を超えて、その自覚の上に立って世界に貢献しなければならない歴史的な役割りがいまあると思うのです。
これは孫文以来、西洋的な覇道と東洋的な王道というものを対立的に見て、ソ連と一九一四年に北京で手を握る前の年に日本に参って、神戸における孫文の演説の大アジア主義というのも——大アジア主義というのは日本の方で勝手につけた題名ですが、ねらいは不平等条約を廃棄するところに力点があったので、治外法権なり不平等条約を全部廃棄していくという、革命後のソ連の中国に及ぼした外交というものに飛びついて、孫文はソ連の力をかりようと
中国革命の父の孫文が、ソ連と手を握って軍閥打倒をやろうという最後の瞬間に日本に来て、神戸で日本に訴えたあの大アジア主義――大アジア主義なんていうのは日本側でつけた題にすぎないんですが、あの中で側々として日本国民に訴えたのは、西洋と日本を便宜上彼は区別して、西洋の覇道主義と東洋の王道主義というものを対比して、われわれは王道主義で行くのだ。
をとってないんだし、いま中国がソ連に突き放されて、兄弟党として一枚岩の上で手を結んでいた国から突き放されて途方に暮れているときに、恐らくは近代化を遂げなくちゃならない段階に、西ドイツか日本に頼らなけりゃならないが西ドイツは遠い、隣の日本に頼ろうという、頼るという言葉は表現しないけれども、やはり中国の窮状がわかってくれるだろうなという悲願を込めて浅沼君のような熱血児を説いたもんだから、浅沼君は素朴な大アジア主義