2020-11-24 第203回国会 参議院 文教科学委員会 第3号
もしかしたら、教師の意図は、聞こえない人に口の動きを読み取らせる口話を子供たちに学ばせたかったからかもしれません。あるいは、この教師が手話が不得意なため、実習指導ができないことを不安に感じたのかもしれません。しかし、そうだとしても、Aさんが望んでいない以上、声を出すことを強いるべきではないと考えます。 Aさんは、それまでの人生で手話を否定され、声を出すことを強く求められる経験がありませんでした。
もしかしたら、教師の意図は、聞こえない人に口の動きを読み取らせる口話を子供たちに学ばせたかったからかもしれません。あるいは、この教師が手話が不得意なため、実習指導ができないことを不安に感じたのかもしれません。しかし、そうだとしても、Aさんが望んでいない以上、声を出すことを強いるべきではないと考えます。 Aさんは、それまでの人生で手話を否定され、声を出すことを強く求められる経験がありませんでした。
聾学校は、先ほど申し上げたとおり、一時期、手話が否定され、そして口話教育一辺倒だった時期もあったということでありますが、そうした状況は、障害者基本法、先ほど大臣からも御言及いただきましたけれども、において、言語に手話が含まれるということが規定をされまして、状況は大分改善したんだと思います。
特別支援教育、聾学校においても、これは不幸な歴史だと私は考えておりますが、かつては手話がその教育の中で否定され、そして口話教育一辺倒だった時代もあったというふうにお聞きしております。
○国務大臣(柴山昌彦君) 今お話があったとおり、通常の小中高等学校と原則として同一の内容を聴覚障害特別支援学校においても指導するということが基本なんですけれども、児童生徒の保有する聴覚の状態などに応じまして、例えば口話、音声でのやり取りや、日本で用いられる手話などを用いるですとか、あるいは既習の英語の基本的な表現などを文字情報として教室に掲示しておくなど、各学校の創意工夫を生かした指導が現時点においては
例えば、子供の聴力レベルで、口話で、言葉ということですが、補聴器をつけた口話できちんと教育ができる子供もいれば、そのような能力が阻害されていて、手話を言葉として教育することで発達する子供もいるわけです。 ただ、今まで、聴能訓練といいまして、聴覚口話法が主流でした。
盲導犬を連れた方、白杖をついた方、あるいは電動車いす、指先しか動かなくて電動車いすの方、あるいは全く聞こえないので対面に通訳を、手話の通訳や口話の通訳をする方がいらっしゃる方などが各省の幹部として参画をしておられたわけですね。
こういう問題について、日常生活や仕事はほとんど口話でこなしておられるお方が何で資格が取れないんだろうか、不思議でかなわないんですが、参考人として、厚生省お見えでございましょうか。おられたら、一体こういう問題について検討してこられたんだろうか、何で資格を与えられなかったんだろうか、簡単にお聞かせいただきたいと思います。
ですから、口頭で話す、口話と言っておりますが、その口話と筆談が中途失聴者のメーンの方法になります。 難聴者になりますと、補聴器を使ってある程度会話ができます。また、人工内耳というのが開発されておりますので、そういう方法でもって聴力を補うということもやっております。 ですから、コミュニケーション方法には手話があり、口話があり、筆談があり、指文字がありという状態でございますね。
それは、長い間日本の学校は口話をとっておりまして、現在でも手話は正式な教科として取り上げていないという面がございます。けれども、北欧やアメリカの場合には教育の場における手話通訳というものをはっきりと制度として認めています。ところが、日本の場合は、大学で学びたいと思いましても、手話通訳とかノートテーカーをつける制度は全くないのでございます。
今の子供たちというのは、口話、口でもってしゃべる練習をしておるから必ずしも手話を必要としないらしいのですが、しかし、中途にこういう障害を負ったような子供たちには、やはり手話というものがある程度必要なんだそうです。 それから、主語と言ったかな、述語と言ったかな、私ちょっと忘れてしまったのですが、これが口話で言うとなかなか言われないもので、手話が必要だというようなことも何かあるのだそうでございます。
近年、聴覚障害児のコミュニケーション手段につきましては口話あるいは手話、キュードスピーチなど多様な方法が用いられておるわけでございます。また、平成元年からは手話通訳士が制度化されるなど聴覚障害者のコミュニケーション手段のあり方が社会的にも重要な問題になっている。
○下村泰君 今、おたくのおっしゃったいわゆる口話ですな、これは口の形を見てやるわけでしょう。そうしましたら、教育の段階で手を使わせない、時によっては手を縛って動かさせない、手話通訳をさせないようにして口の発声の練習をさせるというような話を聞いたことがあります。動物虐待に近いような教え方をしているという話もありましたが、そういうことを聞いたことがありますか。
手話を初め口話、指文字、字幕スーパーなどさまざまなコミュニケーションの方法を取り入れているということでございます。放送日は日曜日の午後七時四十分から七時五十五分でございます。 それから、平成二年の四月から教育テレビで「きょうのニュース 聴力障害者のみなさんへ」という番組を提供しております。
と手話、指文字、口話など、できることすべてを動員して、生徒たちを励ました。 しばらく考えていた部員たちは、相手のバツ ターに向けて大声で「やじ!やじ!」と、どな っだそうである。 聴力障害者は、常識に欠けているといわれる ことがある。それは、このように子供のころか ら、ひとりでに耳に入ってきて、知識となって いる「常識」が、聴力障害者には耳から入って こないからである。
学校では口話で授業をやる、そういう違いがあったりしておりますけれども、いずれにしても、聴覚・言語障害者の場合に、もちろん目はしっかり見えるわけでございますから、文章をつくったり字を読んだり、今だったらワープロをたたいたりということが社会に出るために大変大事なことなんですね。
そして、聴覚障害者の社会人としては、トータルコミュニケーションとしていろいろなコミュニケーションの方法を活用しているわけですけれども、筆記通訳もそうでしょうし、口話もそうでしょうし、そういった中でやはり手話というのは非常に大切なものだろうと思うんですね。
それを見ることによって聾学校の口語教育、口話教育を混乱させるので困ったもんだなんて、こういうことを言う方もおるんですが、そういう設問といいますか、質問に対しまして、そうは思わないと回答があったのは五七・一%、どちらとも言えないが三九・八%あったといいます。じゃ、こんな放送やめた方がいいかといったら、それは全然答えがやっぱりゼロ、やった方がいいと。
手話、口話、字幕スーパーの三つを組み合わせたトータルコミュニケーションの伝達が必要である。手話では国会論議のような非常に複雑でかつ微妙なものが伝わらない。こういう答弁でありました。 この点は間違いないと思いますが、まずNHKのテレビ番組に対する手話通訳についての見解を伺いたいと思います。
○参考人(川口幹夫君) これまでNHKでは障害者向けの番組というものは、手話だけでなくて口話それから文字それから指文字、そういうものを総合的に利用する、我々はトータルコミュニケーションと呼んでおりますけれども、そういう考え方でつくっております。
そして、トータルコミュニケーションということで字幕と口話と手話と、そういうものを総合的に使ってやったものが一番いいんじゃないかというふうな方向で実は検討しておりました。
そこで、NHKとしましては、手話とそれから口話、それに字幕スーパーとこの三つを組み合わせて、いわゆるトータルなコミュニケーションの伝達というふうな形でテレビ番組としては実施をすべきであろうというふうに考えておりまして、これに基づいてやっておりますのが先ほど申し上げました「聴力障害者の時間」の番組でございます。
したがって、現在の聴力障害者の時間の中では手話、口話、いろんな形を取り入れた総合的なやり方をやっているわけでございます。それが手話をすぐ入れるからすべてがよろしいというふうにもまたまいりませんので、いろんな形で現在どのようなスタイルがそういうときには一番的確なのか、そういうことを検討している最中でございます。
それで、口話も取り入れ、字幕スーパーもというようなことが言われておりますが、どういうところが手話通訳では困難だというふうに理解されておるんですか。
聴覚が不自由ですから、手話でありますとか口話でありますとか、視覚をいかに鍛えるかということになる。長年聴覚のために研さんを積んできた先生を、いきなり引っ外して視覚の方へ移すというようなことがいいわけないじゃないですか。
私どもが日常生活言語としての手話の重要性というものに注目していることは先生よく御存じだと思いますが、われわれとしては、先生も先ほどおっしゃいました聴力障害者の時間で、トータルコミュニケーションというやり方で、手話のみならず、口話、字幕スーパーなどを組み合わせたやり方をとっております。
あるいは公開におきましても、口話という部分も大切には違いありませんけれども、やっぱり多くの人々の前でお互いに議論をし合うのにはもう手話をおいてないわけであります。むしろその手話こそは世界共通語にすべきだというふうな非常に先端を行く意見が人々の中に芽生えている状況なんですね。にもかかわらず、非常に排斥するがごとき状況というのは、これは誤っているんじゃないか、こういう気がするんです。
○前島英三郎君 私はその口話を否定しているんじゃないんですよ、これは勘違いされちゃ困るんですけれども。たとえば郵政省で、NHKに手話の時間を設けている、あるいはニュースや天気予報もそうしたものを入れようとする。あるいはまた、社会参加する上には労働省の窓口には手話のできる人を配置する。福祉事務所にも配置しようと。あるいは黄色いハンカチ運動もしようと。