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12件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2014-04-25 第186回国会 衆議院 文部科学委員会 第14号

下村国務大臣 例えば、教育勅語の「我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我国体精華ニシテ教育淵源、」云々とありますが、例えば「我カ臣民」、こういう言葉は、これは現代的に言うと我が国民という言葉で、臣民も我がということも適切ではない。  そういう意味では、現憲法下における国民主権ということを考えれば、「我カ臣民」という言葉は、これは適切ではないと思います。

下村博文

2004-02-05 第159回国会 衆議院 憲法調査会最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会 第1号

また、臣民の義務とされた学校教育におきましても、その指導理念たる教育勅語は、なんじ「臣民克ク忠ニ克ク孝ニ」と天皇に対する忠義を強調するとともに、「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ云々という徳行、そういうものを通じて「以テ天壌無窮皇運扶翼スヘシ」として、天皇に役立つ人間になることを教え込んだと言えます。また、天皇をたたえる歌である君が代を通して、天皇による国民の統合を図ったのでございます。  

横田耕一

2000-10-26 第150回国会 衆議院 憲法調査会 第3号

国体は、「克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ国体精華であるという言葉もありますが、その当時議論された中にも、天皇中心として国土があり国民がある、これが我が国の国体だ、こういう議論も議事録を見ますと盛んに行われているわけですね。  そういった中で、現行の憲法は、第一章第一条から天皇の規定があります。

塩田晋

1982-03-24 第96回国会 衆議院 文教委員会 第4号

教育勅語は私たちが子供のころに学校でまる暗記をさせられたものでありますが、この教育勅語のせりふの中に「克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我国体精華ニシテ教育淵源亦実ニ此ニ存ス」、教育淵源はここにあると述べておりますし、そのことから「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮皇運扶翼スヘシ」、このようにつながったのだと思うのです。  

三浦隆

1979-02-14 第87回国会 衆議院 文教委員会 第2号

まあ、「克ク忠ニというのは、これはどうかと思いますけれども、しかし、国家に対して、公に対して奉仕をするという考え方でこの辺を読み返してみますと、子供は親に対して孝行しなければならぬ、あるいは兄弟は仲よくしなければいかぬ、夫婦はこれまた相和していかなければならぬというふうな、具体的な徳目取り上げ方というものは非常にすぐれたものではなかったかと私は思うわけであります。  

小島静馬

1978-08-29 第84回国会 参議院 文教委員会 閉会後第1号

いま言われたような徳目、「兄弟ニ友ニ夫婦相和シ」、必ず「克ク忠ニ克ク孝ニ」の部分を除いたところがら語り始められるわけでありますが、「朋友相信シ恭倹己レヲ持シ」「學ヲ修メ業習ヒ」、それらのところがら至って「一旦緩急」の前でとまるわけでありますけれども、こういう問題は日本独特の美徳であるのか。

小巻敏雄

1976-10-27 第78回国会 衆議院 文教委員会 第4号

それで、戦前は、教育勅語というのは「克ク忠ニ克ク孝億兆心ヲ一二シテ」ですか、そういうふうに目上、目下というものを非常に強調されて、絶対化された道徳に偏っておったということはあろうと思います。戦後はその反動みたいに、今度は横の仲間意識こそ道徳なのだというような教え方。だから、この間も指摘されておりました親孝行であるとか師弟の関係であるとか主従関係というようなことを口にすると古い。

有島重武

1974-02-01 第72回国会 衆議院 予算委員会 第9号

それから、「我が国体道徳的意味は、教育勅語に明示せられてある如くに、「我カ臣民克ク忠ニ克ク孝億兆心ヲ一二シテ世々厥ノ美ヲ濟セル」にある。」「狭義の忠とは所謂「君の馬前に討死する」的の忠であって、」こういう教育をやっているのですが、これもどうですか。これはいいですか、防衛庁長官、総理にも聞きたいと思います。さっきの答弁と一緒に聞きたい。

松本善明

1956-02-08 第24回国会 衆議院 予算委員会 第5号

克ク忠ニ克ク孝億兆心ヲ一二シテ世々厥ノ美ヲ済セルハ」という教育勅語言葉がありますが、これが勅語教育淵源と規定したことは申すまでもありません。この教育淵源として参りました日本人の歴史が忠孝というものを中心としておる。これをどういうふうに今後の歴史教育において取り扱っていくかということは、歴史教育における重大な問題となると思うのであります。

山本勝市

1953-07-07 第16回国会 衆議院 文部委員会 第8号

また「克ク忠ニ克ク孝ニ」——「克ク忠ニこということだけでは、よくわからぬのでありますが、これを天皇専制とか、あるいは主権君主にあるとか、そういうことと結びつけて考えれば、その表現が、そのまま今日の時代では受取りにくいということはありましよう。しかしながら私はやはり、その底に流れる道徳精神は、国土を愛し民族を愛する精神を強調されたものと思う、今日の時代でも、天皇国民の象徴であります。

大達茂雄

1953-07-04 第16回国会 衆議院 文部委員会 第7号

しかしながら教育勅語全体として、前にも申し上げましたように、「此レ我方国体精革ニシテ教育淵源亦実ニ此ニ存ス」といわれておるこの言葉は、「克ク忠ニ克ク孝ニ」といういわゆる古い君主主義あるいは国家主義に基いておるのだ、この点をあなたはもつと率直にこれが憲法精神に反し、あるいは現代の国家に即応しない、そういうような勅語中心をなすものはいけない、しかし中には少しいいところがある、こう認められるのが、

前田榮之助

1953-07-04 第16回国会 衆議院 文部委員会 第7号

今「克ク忠ニ克ク孝こということを盛んに力強く主張されますが、その主張されることが私らにはおかしいのです。この勅語をよくごらんなさい。「克ク忠」は忠実だ、これは天皇に対する忠君愛国というものじやない、国家に忠実なとかいうような意味にもとれると、あなたはおつしやるのだろうが、そうではなくて、これには「我ヵ臣民」と書いてある。その次に、「克ク忠」と書いてあるのです。

前田榮之助

1953-07-04 第16回国会 衆議院 文部委員会 第7号

ただ、たとえば「克ク忠ニ克ク孝ニ」、この「克ク忠二」という字を非常に問題にされておるようであります。この「克ク忠」ということは、これはその中にただちに主権天皇にあるとか、天皇制とかいうものまで含むものか、どうかは私は知りませんが、ただ従来わが国におきましては愛国心——国土を愛し、民族を愛する、その感情が忠という表現を借りて鼓舞せられておつた、これは疑いのない事実であると思うのであります。

大達茂雄

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