1956-03-26 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第9号
○馴松参考人 自分が人質にされたということを確認したのは、二十九年の九月にウラジミールの監獄からみんなが出ていくときに、監獄長が日本に帰すということを言ってウラジミールから出したそうであります。そうして外村外十四名の者がハバロフスクに到着して、帰るつもりで内地に帰るという手紙まで出して、その許可がなったそうであります。そうして仕事にさえも出ていなかったのであります。ところが何か内地の方で騒ぎが起って