1997-04-08 第140回国会 衆議院 厚生委員会 第13号
○野本参考人 私は、三十七歳までは、夜は救急外科医として働いて、昼間は基礎の大学院とか研究生とか、その当時、何の背景もない人間が大学に残るなんてことはできませんでしたので、本業は夜の救急医くらいだったのです。それで、救急医の感覚はわかるつもりです。幾らだれが言ってきましても、自分が助け得る可能性がごくわずかでもある間、移植医の関与などは許すはずがありません。それはもう、救急医の先生が夜も寝ずに、これくらいつらい
○野本参考人 私は、三十七歳までは、夜は救急外科医として働いて、昼間は基礎の大学院とか研究生とか、その当時、何の背景もない人間が大学に残るなんてことはできませんでしたので、本業は夜の救急医くらいだったのです。それで、救急医の感覚はわかるつもりです。幾らだれが言ってきましても、自分が助け得る可能性がごくわずかでもある間、移植医の関与などは許すはずがありません。それはもう、救急医の先生が夜も寝ずに、これくらいつらい
○野本参考人 私の行動は全部公開してきたので、熱心な議員の先生方は御存じと思いますけれども、何とかして日本でベストの医療体制をつくるということを主張してまいりました。ある時期は、私はそれでみんなに嫌われて学会から追放された時期があるのですが、今回移植学会理事長として、非常に難しい時期に私が一年半何とか立っておられるということ、それからこの間、三月二十二日の理事会、評議員会で、全方位型の支援体制をつくる
○野本参考人 野本でございます。 私、きょうお呼びいただいたのは、基礎科学者としてではなくて、恐らく、多くの移植医を抱える日本移植学会の理事長として、その意見を述べよということだと思います。したがいまして、本格的な臓器移植を分担する社会的な状況に備えて、どのように学会の内部環境、医学界の内部環境の整備に努めてきたかを御報告するのが今回の役割かと存じます。 移植医療は、新しいタイプのチーム医療であり