1949-03-25 第5回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第10号
○証人(越川弘司君) その人の名前と人員の点については私たちは実際のところ、はつきり分らん、ここに梯團の副團長をしておられた薦岡証人がおりますから、その方に人数の点は確めて頂きたいと思います。
○証人(越川弘司君) その人の名前と人員の点については私たちは実際のところ、はつきり分らん、ここに梯團の副團長をしておられた薦岡証人がおりますから、その方に人数の点は確めて頂きたいと思います。
○証人(越川弘司君) 私は英彦で帰つて來た者であります。上陸地の暴行事件の原因ということは、彼の地において民主委員会を結成しました外、民主委員長以下民主委員の人たちがソ連側に通告して、我々の同僚の帰還の途を閉して、そうしてその後に我々の同胞を残して來たということが暴行事件の原因となるのであります。在留地において我々大衆が、反フアシスト民主委員会から加えられたところの圧迫というものが、舞鶴上陸という自由
○証人(越川弘司君) 英彦丸の事件についての発言でございます。只今まで皆さんの証人からも発言がありましたが、英彦丸の暴行事件という問題については根本的なことを考えなくてはならんと思うのであります。これは單なる個人々々の意見、個人々々の遺恨、噂とか、そういう問題でなくして、我我が入ソ以來三年間、元の將兵、或いは將校、或いは下士官、或いは兵隊としてソ連の地において共に苦労をして來て、いざ昨年の十一月帰還
○証人(越川弘司君) 本籍地、栃木縣芳賀郡山前村西田井二千百五十二番地。県在所、横浜市鶴見区下末吉町旭台三百三十番地。