1997-12-09 第141回国会 衆議院 予算委員会 第10号
○行平参考人 お答え申し上げます。 ただいま伊藤先生のお話は、都内のホテルで平成三年夏ごろそういう会議を持ったんではないかというお話でございました。私の今記憶している範囲では、確かにそういうことはございました。それで、当時みんな忙しかったので、全員会えるのは日曜じゃないか、休みじゃないかということで集まったということだったと思います。 それで、私がSECに話した話じゃございませんけれども、今のお
○行平参考人 お答え申し上げます。 ただいま伊藤先生のお話は、都内のホテルで平成三年夏ごろそういう会議を持ったんではないかというお話でございました。私の今記憶している範囲では、確かにそういうことはございました。それで、当時みんな忙しかったので、全員会えるのは日曜じゃないか、休みじゃないかということで集まったということだったと思います。 それで、私がSECに話した話じゃございませんけれども、今のお
○行平参考人 お答え申し上げます。 平成三年、その前に、平成元年でしたか、二年でしたか、大蔵省の方から、いわゆる営業特金、一任勘定的な営業特金はやめなさい、そういう指示があったと思います。と同時に、そのころから株価は下落を始めました。それで、現在いろいろ言われております、AからB、BからCと行く、転々とする、いわゆる飛ばしがあったと思います。 つまり、簿価で、時価が下がっているにかかわらず簿価で
○行平参考人 行平でございます。 初めに、伊藤先生その他先生方のお許しをいただきまして、一言おわびの言葉を心から申し上げたいと思います。 このたびの件につきまして、大変、国民の皆様また立法府の先生方に御迷惑をおかけいたしまして、まことに申しわけなく思っております。それから政府あるいは日銀の関係者の皆様方、また特に深い信頼をお寄せくださった株主の皆様方、また長年お取引をいただきました投資家の皆様方
○参考人(行平次雄君) ただいまの御質問でございますが、平成三年末でどうだと。これは、そこまでにぎりぎり圧縮したものを、どうしても山一のものとして引き取らざるを得ない、つまり一種の借金の形になっておりまして、それを額面で、私の現在の記憶ですと、額面で約二千億、それからそのときの時価はちょっと、私は現在ここで申し上げられる資料を持っておりません。いずれにしても、一千億あるいは五百億に近い損がそこに残ったということでございます
○参考人(行平次雄君) 私が社長になりましたのは八八年、それから八九年の暮れにいわゆる株式相場が天井を打ったわけでございます。それから九〇年から相場が下がり始めた。その前に、御承知だと思いますが、タテホショックというものがございました。このタテホショック等によりまして、ちょっと細かい資料その他、きのう私呼ばれましたので現在手元にございません、ちょっときょうは準備不足でございまして、申しわけありませんが
○参考人(行平次雄君) まず初めに、ただいま楢崎先生から御指摘がありましたように、日本のみならず世界のマーケットに大きな影響を与えるような結果になった。また、そういうことに関しまして、国民の皆様、それから政府、日銀、あるいは株主の皆様に本当に多大の御迷惑をかけまして、まず初めに心からおわびを申し上げたいと思います。 それで、また冒頭、私が申し上げる立場にあるかどうか甚だ迷うところではございますけれども
○証人(行平次雄君) お答え申し上げます。 ただいま社長職にお前はまだとどまっておるというお話でございました。先ほども申し上げましたように、本当に言葉だけでなくて毎日身がすくむ思いがしております。それで、私自身といたしましても自分の責任の重大さ、これをつくづく思いますときに、いろいろな方面から、いろいろな角度からいかにあるべきかを思い悩んだわけでございます。そして結論としては、大変僣越た言い方になりますけれども
○証人(行平次雄君) ただいま先生の御質問に関連いたしまして、先生のお許しをいただきまして、一言国民の皆様、それから投資家の皆様に心からおわびをさせていただく機会をいただきたいと思います。 今回当社が行いました損失補てんという行為は、これは今まで全国の投資家の皆様からちょうだいしておりました大変な御信頼を裏切る結果になりました。そして、ひいては活力あるべき証券市場に対しても皆様の大変な御不信を招いたわけでございます