1952-06-28 第13回国会 衆議院 内閣委員会 第36号
○藤村参考人 私は前後八年間陸軍省恩賞課に勤務しまして、遺族及び傷痍軍人並びに出動軍人の援護に当つておつたのであります。出征の門出にあたりまして、あとのことは全然心配するな、国家の補償なり援護なりがあるから一死報国働いてくれと言うて、その門出を送つたのでありますが、今や遺族及び傷痍軍人につきましては、わずかな援護金が下賜されることになりましたが、生存者につきましては、何らの補償もないというような状態
○藤村参考人 私は前後八年間陸軍省恩賞課に勤務しまして、遺族及び傷痍軍人並びに出動軍人の援護に当つておつたのであります。出征の門出にあたりまして、あとのことは全然心配するな、国家の補償なり援護なりがあるから一死報国働いてくれと言うて、その門出を送つたのでありますが、今や遺族及び傷痍軍人につきましては、わずかな援護金が下賜されることになりましたが、生存者につきましては、何らの補償もないというような状態
○藤村公述人 ちよつと御質問がわかりませんでしたが、同一項症に対しまして……。
○藤村公述人 恩給法によりますれば、恩給支給の額は、退職当時の俸給及び勤続年数ということでやつているのでありまして、御説の通りであります。ただ傷痍軍人の恩給につきましては、上下の差別はあまりつけてないのであります。非常に上薄下厚となつているのであります。
○藤村公述人 私は元陸軍省恩賞課長をしておりました藤村益蔵と申します。私は前後八年にわたりまして、元陸軍省恩賞課に勤務いたしまして、戦死者遺家族、傷痍軍人並びに出動軍人の恩給事務及び軍人援護の事務に従事しました。第一線に出動する者に対しましては、あとのことは心配する必要はない、第一線に立つて大いに働いてもらいたいという激励の言葉を発しまして、その門出を送つたのであります。この第一線に出動しましたこれらの