1948-08-24 第2回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第49号
○菅波證人 こまかい内容は大分前のことでありますので、よく記憶いたしておりませんが、終戰後連合軍に接收せられました日本の兵器類、これが当時日本の経済復興の非常に資材が不足しておりまして、また当分の間工場等の活動が期待できないので、経済の復興の資材の当てがつかないという状態でありましたが、それを拂下げを受けるという非常な連合軍の好意によりまして、日本政府に返還されることになりました。しかしこれは内務省
○菅波證人 こまかい内容は大分前のことでありますので、よく記憶いたしておりませんが、終戰後連合軍に接收せられました日本の兵器類、これが当時日本の経済復興の非常に資材が不足しておりまして、また当分の間工場等の活動が期待できないので、経済の復興の資材の当てがつかないという状態でありましたが、それを拂下げを受けるという非常な連合軍の好意によりまして、日本政府に返還されることになりました。しかしこれは内務省
○菅波證人 私が就任する少し前から兵器処理問題が起きておりましたので、私が就任いたしましてからいろいろの大綱その他正式決定になりまして、私の在任中にそれをいたしました。
○菅波證人 これも私よくはつきりした記憶はございませんが、鉄につきましては日鉄と日本鋼管というものは、日本における製鉄業者のうち最も代表的なものでありまして、これはだけが考えてもそういうところに帰着するようなことになると思います。非鉄金属の方は当時多分非鉄金属を扱つておりまする鉱山局の意見を聽いてこの三社をきめたように考えます。
○菅波證人 前のことでして詳しくは覚えておりませんが、兵器処理委員会は元來当然進駐軍の占領のもとにある日本の兵器、これを私どもといたしましてはできるだけ日本の経済復興に役立たせたいというふうに考えておつたのでございますが、それがさいわいにして進駐軍の非常な御好意によつて日本側に渡されることになりましたので、この処理を掌るために一つの機関が必要になりました。このためにこの兵器処理委員会をつくつたのでございますが