○翁長参考人 両参考人に続きまして、私行政方面に携わっております関係上、具体的な問題について皆様に申し上げたいと存じます。
その前に私が強く皆様に思い起していただきたいことは、終戦直後から約二カ年間はおそらく全沖繩が占領せられ、いわゆる解放せられぬ、すべてワク内に、金網内におったと言ってもようございます。軍用地内にわれわれの住居が営まれておるといったような格好であったのが、次第々々に落ちつくにつれまして
翁長助静
○翁長参考人 私の市におきまする実情について申し上げますと、立ちのきは絶対聞けということで、伊佐浜、伊江島の例もありますので、いろいろ妥協案が出まして、結局試験場内の一部の土地を三十坪ないし三十五坪ほど借り受けまして、そこは県有地でありますので、比較的土地が借りやすいし、また借地料も安うございますので、そこへ行った。それから、旧家屋の賠償が、住民の要望する約四割ないし五割くらいの金はいわゆる補償費といたしましてあったわけであります
翁長助静
○翁長参考人 その件について調べたのがございますので、ちょっとお知らせします。最初に都市地区、那覇の郊外地区でございますが、軍の方で、住宅地の一つの例を申し上げますと、軍単価が四十七円二十八銭、こういうふうに言われておりますのを、住民の時価の要望は、いいところが三百円、その次が二百四十円、こういうふうに四十七円対三百円というように大きく離れております。さらに、僻地の沖縄の北部の方では、軍の方で、ただの
翁長助静
○翁長参考人 翁長助静でございます。ただいま知念、安里両参考人からいろいろ説明がありましたので、私の方はそれとは変った方向から説明をしたいと存じます。
ただ、しかし、一致いたしますのは、軍用地を取り上げる場合に、いろいろの布告、布令などをたてにとって法律的に処理するのだと言っていますけれども、すべて一方的な強圧的なやり方によって行われておるということは、常に一致しておることだと思います。私、自分で
翁長助静