1973-09-04 第71回国会 参議院 運輸委員会 第27号
○説明員(田宮新年君) 先ほど先生から御質問がございました過去十年間における自動車の申請といいますか、私も全部つまびらかにしておると言う自信はございませんけれども、おも立ったところを申し上げますと、先ほど申し上げました三十九年の名神、四十四年の東名高速線、それから群馬、長野県にわたります志賀草津高原線を一昨年申請いたしまして、いずれも免許を受けたような次第であります。
○説明員(田宮新年君) 先ほど先生から御質問がございました過去十年間における自動車の申請といいますか、私も全部つまびらかにしておると言う自信はございませんけれども、おも立ったところを申し上げますと、先ほど申し上げました三十九年の名神、四十四年の東名高速線、それから群馬、長野県にわたります志賀草津高原線を一昨年申請いたしまして、いずれも免許を受けたような次第であります。
○説明員(田宮新年君) かいつまんで申し上げますと、昭和四十年代に入りまして、御承知のように、人口の都市集中による過疎化が起きました。国鉄バスは、先生も御承知と思いますけれども、非常に過疎地帯に多く路線を持っておる。先ほど名神、東名の例をあげましたが、これらは大体例外でありまして、過疎地帯を走っておるということであります。したがって、過疎のマイナスの影響をもろに受けたということであります。 それから
○説明員(田宮新年君) 田宮自動車局長でございます。 沿革でございますが、昭和五年に岡崎−多治見間に国鉄バスが初めて創設されまして、当時は先行、代行、短絡、培養——鉄道のいわばわき役ということで路線を漸増してまいったわけであります。その後、戦争に伴いまして軍需輸送を担当することになったわけであります。なお御承知のように、敗戦に伴いまして物資が非常に不足しておるということによりまして、今度は復興物資輸送